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【猫沢エミさん×野村真季さん『猫沢家の一族』刊行記念特別対談 】どんなにいびつな家族でも、笑って、許して、生きていく

言語化することで整理される

野村 エミさんの真骨頂は、大変なことも笑いに変えていく力。それがすごいですよね。悲しい状況だったり深刻な状況であったりしても、客観的に状況を理解した上で、ぱっと笑いのほうにもっていく。今回の盗難事件もしかり、いろんなところでそれが発揮されている印象を受けます。

猫沢 そうですね。今回の盗難では、精神的にもコテンパンにやられて、対処の仕方もわからずどうしようというところもあったのですが、そういう時は、わーっと文章化しないと次に行けないんですよね。だから、被害に遭った当日も、ヘトヘトな状態なのに、パソコンを開いて改行もせずに盗難日記を書いて、インスタに上げて。言語化すると、すごく整理されるので。

野村 昔から書いていらっしゃったんですか。

猫沢 日記とか全然真面目に書くほうじゃなかったですけど、文章は好きでしたね。小学生ぐらいのときから国語の文章読解がすごく得意だったんですけれど、それは身近な家族の心理状況を常に読み込まなきゃいけない、そういう環境だったので。

野村 実地で読解をする……。

猫沢 文字でないものを読んでいく、みたいな。なぜうちでこんな現象が起きたのかとか、なぜおじいちゃんはこんな言動をしたのかとか、歴史のひも解きのようなことを、一生懸命、無意識のうちにやっていたんだと思います。
10代の終わり頃、哲学や心理、精神医学とかの本を集中的に読んだ時期があって。それは、家族の破天荒な言動とか精神疾患を理解したかったから。理解したいっていう気持ちって嫌いたくないっていうところから来てると思うんですよね。こんなんだけれど、家族で、自分のルーツで。血のつながりっていうよりは、一回愛を分かち合った人っていうのは、自分の中にその人の一部を持ってると思うんです。だからそれを許せなかったら、自分自身も許せない。嫌うことはとても簡単なんだけれども、自分を許すためにも、嫌うのではなく、どうしてこうなったかっていうことを徹底的に考えたくて、10代の頃はいろんな書物を読んで、原因はここかなとか、随分考えましたね。

野村 『猫沢家の一族』には、奇想天外なおじいさま、お父さま、お母さまが出てらっしゃるんですが、脚色して書いてないというのが分かります。エミさんは普段から内省的に物事を見て、感情に合った言葉をピックアップすることに長けていますが、今回の本に関しては、ジャーナリスティックな面が垣間見えました。目の前で起きたことを見て、記憶して、自分の中に取り込んでいる。それに加えてエミさんの成長に合わせて、時間軸で理解の幅が広がって、おじいさま・お父さま・お母さまの性格や背景を理解した縦軸・横軸みたいなものが出来上がっているので、とんでもないご家族だなと思いながらも、読んでいる側が人として嫌いにならず、その存在に心を沿わせてしまうという感じがするんですよね。

猫沢 連載開始当初は、過去の笑えない出来事も一緒に思い出さなきゃいけないっていうことがすごく気が重くて。そもそも私がパリに行った一つの理由は、本当に一族との決別をしたいっていう真摯な思いがあったんです。家から離れようと思って海を渡ってここまで来たのに、なんで自分からこんな掘り返すような連載を始めてしまったのか。自業自得だなと思いながら書いていました。
連載4回目で、「星の王子様」のサン=テグジュペリが父に瓜二つで、その父はヅラだったことを書いたあたりから、だんだんテンションが上がってきて。「父親のハゲをばらして復讐だ!」みたいな感じで書き始めたら楽しくなってきたんです。何となく私だけじゃなくて、父も笑ってるっていうのかな。あの世にいる一族も「いいぞいいぞ、やっちまえ」みたいに言ってる感があって。
私、家族のことに100%向き合って、両親を看取って終わらせてパリに来たつもりだったけど、まだ自分の中でわだかまりとか、すごく小さなかけらが残ってる部分があったんだなって、そのとき気が付いたんですよね。「この残ってるかけらまでも、ここで全部笑いに転換してしまえ!」みたいな心境になってからは、連載を書くのが楽しくなりました。でも書き過ぎるとグラスが割れたりとか、「おまえ、やり過ぎだ」っていうコールが来たりとかして、わかったわかったみたいな。別に私スピリチュアル系の人じゃないんですよ。だけど、この連載を通して、あの世に行った人たちともう一度対話したみたいな、そういう面白い執筆期間でしたね。
笑いに変えられない悲しい部分っていうのはもちろんあって、そこはこの本には書かれてないんですけれど、それは読まれた方が、この笑いに行くまでは大変だったろうよっていう想像を多分されると思うんですね。その大きな余白にご自身の家族の有象無象のいろんなものを当て込んで、一緒に笑って許してしまってほしいなっていう本でもあるんですけれど。

家族を「許す」ということ

野村 「許し」についても伺いたいのですが、お父さまが先立ち、お母さまの看取りで精神的・金銭的負担がのしかかり距離を置こうとする弟さんに、エミさんは許すことを説かれたわけですよね。 

猫沢 父母は勝手に医療保険を全部解約してしまい、使えるのは高齢者の保険証だけ。でも、腎臓がんの母の治療ではアメリカで開発された高い新薬を使っていたので、実費で払う分が毎月結構あったんです。
ところが母は飲まないんですよ。飲んだふりして捨てたりするんですよ、高い薬を。それについても弟たちはすごい怒ったりしていたんですけど、私は「いいよ、いいよ。それもお母さんが自分で寿命を決めてるようなものだから」って言って。「今からこの人たちを改心させることもできないし、私たちはそのままを受け止めて見送るしかないんじゃない?」っていう話をして、「とにかく許しちゃえ」って私はひと言、言ったんですよね。それは両親のために許すんじゃない。残された私たちが、心に汚点をつくらずに明るく生きていくための許しだよって。

野村 これから、家族の圧と向き合い、家族に対して許すということが必要となる人も多いと思います。

猫沢 うちには最後の砦で「笑い」っていう消化の仕方があったんですけれど、本当に笑えない家族問題を抱えてらっしゃるおうちもたくさんあると思うんですね。私はそこまで行ったら、逃げていいと思うんです。子どもは親のためのものではありません、本当に。うちの母が昔、「血のつながりって確かにあるけれど、子どもは生まれ出たらもう個体でしかない」「魂も別々だし、何も実際の目に見えるようなつながりはないし、その先は自分の人生を作っていける」みたいなことを言ったんです。街金行ってこいとか言うくせに、たまにいいこと言うんですよ。普段、すごくちゃんとしたお母さんがいいこと言ってもあんまり響かないと思うんですけど、普段街金行ってこいっていう人がいいこと言うと、すごい響くんですよね(笑)。それはずるいんですけど、すごく記憶に残っていて。
だから私は、自分の人生が浸食されるっていうような問題が起きた場合は、とにかく離れたらいいと思うんです。まず最初に自分を守って、ちゃんとものを考えられる環境に身を置いて。一回離れると、俯瞰して家族のことが見えてきます。その状態で、許せない部分と許せる部分を精査して、なるべく許せるところを自分で見つけていって、生きている間に許してしまうということをしてもいいと思う。でも中には、とても言葉にはできないような、すごく残酷なことがあったりとか、血縁を超えた迫害のようなことがある家庭もあって。そういう人たちは、ご自分を一番大切にされるのがいいと思います。
一回、自分を大切にしてケアしてあげたら、ちょっと余力が出てくるんですよね。家族に対して、もうちょっと広い考え方ができるかもしれないとか、ちょっと立て直した後に、ここは助けられるかもしれないみたいな。

野村 お母さまの終末期において、弟さんたちに許すということを言えたのは、エミさんがそれまでに許す経験をされていたからでしょうか。

猫沢 多分私は、瞬間、瞬間で許しというものを学んで、親を許しながら生きてきたんだっていうふうに、どこかでは思っていたんでしょうね。だけど実は許すことって、許される人が救われるだけじゃなくて、許したほうの人がすごく許されるというか、ケアされるっていうところがあって。私は家族や納得できない相手を許すことで、自分のことを許しながら大人になってきたんだなっていうことに、今回の本を書いて気づきました。

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新刊紹介

猫沢エミ

ねこざわ・えみ
ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』『イオビエ』『猫沢家の一族』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。

Instagram:@necozawaemi

野村真季

のむら・まさき
テレビ朝日アナウンサー。神奈川県出身。東京女子大学現代文化学部卒業。1998年テレビ朝日に入社。「ANNニュース」や「有吉クイズ」などを担当。猫沢エミ氏の著書の愛読者で、プライベートでも親交がある。

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