2025.5.3
名画が勝手に頭に浮かぶ、文章力と没入感~佐藤賢一氏(小説家)が『饒舌な名画たち 西洋絵画を読み解く11の視点』を読む
中世ヨーロッパでは、美術はキリスト教の教義を伝える道具だった。その伝統が根強いからか、西洋美術は近世、近代に進んでも、これは何を意味している、この色は何を象徴している等々、とかく言語表現と近しい。絵画にせよ、ルネサンス以降、わけてもジオットによる遠近法の発見このかた、格段の進歩を遂げて、もはや中世画の面影もないにもかかわらず、依然として「描かれたものに重ねられた意味」を読み取らなければ、十全に鑑賞できない建付になっている。名画ともなれば、ことさらに「饒舌」だ。その言葉を、西洋美術の主要な十一テーマごとに読み解いていこうというのが、この『饒舌な名画たち』である。
類書に乏しいどころか、西洋美術の解説書は山とある。この手の本──早めに白状すると、私は苦手だ。読書を楽しめないからだ。当たり前だが、絵も一緒に載せてある。ここがどうだといわれては、絵のほうをみて、また文章に戻るも、あれはそうだと続けられては、また目を移さなければならなくなって──せわしないというか、落ち着かないというか、読書に没入できないのだ。いや、読書を楽しむための本でなく、美術を勉強するための本なのだといわれれば、それまでの話なのだが、やはり私は苦手と繰り返す他なかった。ところが、どうだ。『饒舌な名画たち』は、夢中で読めた。読めたはずで、気づけば途切れず文章を読んでいた。本書にも絵は掲載されているが、あとから確かめる程度でよかった。何なら絵がなくてもよいと思うほどだった。試みに、
「浅瀬に乗り上げた大きな貝殻の中、ウェヌスは柔らかな物腰で佇む。波と空気に揺蕩うかのように、重さの感じられない身体は、生まれて間もないために、まだ地上と結びついていないのかもしれない。彼女の右手は胸の上に置かれ、左手は長い髪で下腹部を隠している。これは『恥じらいのしぐさ』のヴァリアント(変種)の一つで、〈メディチのウェヌス〉など古代彫刻に見られる表現であった」
と引用してみれば、ボッティチェリの「ウェヌスの誕生」が、勝手に頭に浮かんでくる通りだ。
畢竟、感嘆すべきは文章の力である。言葉のイメージ喚起力なのである。本書では名画が「饒舌」であるに劣らず、それを読み解く文章も「饒舌」なのだ。書いたのは石沢麻依──西洋美術史の研究者だが、同時に作家だったのだと思い出せば、それも驚くべきではないが、こういう風に書いてもらえないでは楽しめないな、ことさら西洋美術などという、しかつめらしいものは、やはり楽しむことができないなと、実感改まるばかりだった。
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下記より、『饒舌な名画たち 西洋絵画を読み解く11の視点』第1章「聖母とマグダラのマリアの描かれ方」が読めます!











