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名画が勝手に頭に浮かぶ、文章力と没入感~佐藤賢一氏(小説家)が『饒舌な名画たち 西洋絵画を読み解く11の視点』を読む

 中世ヨーロッパでは、美術はキリスト教の教義を伝える道具だった。その伝統が根強いからか、西洋美術は近世、近代に進んでも、これは何を意味している、この色は何を象徴している等々、とかく言語表現と近しい。絵画にせよ、ルネサンス以降、わけてもジオットによる遠近法の発見このかた、格段の進歩を遂げて、もはや中世画の面影もないにもかかわらず、依然として「描かれたものに重ねられた意味」を読み取らなければ、十全に鑑賞できない建付になっている。名画ともなれば、ことさらに「饒舌」だ。その言葉を、西洋美術の主要な十一テーマごとに読み解いていこうというのが、この『饒舌な名画たち』である。

 類書に乏しいどころか、西洋美術の解説書は山とある。この手の本──早めに白状すると、私は苦手だ。読書を楽しめないからだ。当たり前だが、絵も一緒に載せてある。ここがどうだといわれては、絵のほうをみて、また文章に戻るも、あれはそうだと続けられては、また目を移さなければならなくなって──せわしないというか、落ち着かないというか、読書に没入できないのだ。いや、読書を楽しむための本でなく、美術を勉強するための本なのだといわれれば、それまでの話なのだが、やはり私は苦手と繰り返す他なかった。ところが、どうだ。『饒舌な名画たち』は、夢中で読めた。読めたはずで、気づけば途切れず文章を読んでいた。本書にも絵は掲載されているが、あとから確かめる程度でよかった。何なら絵がなくてもよいと思うほどだった。試みに、
「浅瀬に乗り上げた大きな貝殻の中、ウェヌスは柔らかな物腰で佇む。波と空気に揺蕩うかのように、重さの感じられない身体は、生まれて間もないために、まだ地上と結びついていないのかもしれない。彼女の右手は胸の上に置かれ、左手は長い髪で下腹部を隠している。これは『恥じらいのしぐさ』のヴァリアント(変種)の一つで、〈メディチのウェヌス〉など古代彫刻に見られる表現であった」
 と引用してみれば、ボッティチェリの「ウェヌスの誕生」が、勝手に頭に浮かんでくる通りだ。

 畢竟、感嘆すべきは文章の力である。言葉のイメージ喚起力なのである。本書では名画が「饒舌」であるに劣らず、それを読み解く文章も「饒舌」なのだ。書いたのは石沢麻依──西洋美術史の研究者だが、同時に作家だったのだと思い出せば、それも驚くべきではないが、こういう風に書いてもらえないでは楽しめないな、ことさら西洋美術などという、しかつめらしいものは、やはり楽しむことができないなと、実感改まるばかりだった。

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下記より、『饒舌な名画たち 西洋絵画を読み解く11の視点』第1章「聖母とマグダラのマリアの描かれ方」が読めます!

『饒舌な名画たち 西洋絵画を読み解く11の視点』4月4日発売!
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新刊紹介

佐藤賢一

1968年山形県鶴岡市生まれ。山形大学教育学部卒業。東北大学大学院文学研究科フランス文学専攻博士課程単位取得満期退学。
1993年『ジャガーになった男』で第6回小説すばる新人賞受賞。99年『王妃の離婚』(集英社)で第121回直木賞受賞。2014年『小説フランス革命』(集英社)で第68回毎日出版文化賞特別賞受賞。2020年『ナポレオン』(集英社)で第24回司馬遼太郎賞受賞。主にヨーロッパ史を題材とした歴史小説を多く手掛けているが、近年は日本、アメリカを舞台とした作品も発表し舞台化されたりなど話題となる。日本語のみならず、フランス語などの外国語文献にもあたり蓄積した膨大な歴史的知識がベースの小説、ノンフィクションともに評価が高い。
著書に下記などがある。
<小説>
『傭兵ピエール』『双頭の鷲』『カルチェ・ラタン』『オクシタニア』『黒い悪魔』『褐色の文豪』『ハンニバル戦争』『ナポレオン』『女信長』『新徴組』『日蓮』『最終飛行』ほか。
<ノンフィクション>
『英仏百年戦争』『カペー朝』『テンプル騎士団』『ドゥ・ゴール』『ブルボン朝』ほか。
<漫画原作>
『傭兵ピエール』『かの名はポンパドール』

石沢麻依

いしざわ・まい
1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川賞を受賞。
著書に小説『貝に続く場所にて』『月の三相』、エッセイ『かりそめの星巡り』がある。

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