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「名画」を舞台にしたに謎解き物語~松永K三蔵氏(小説家)が『饒舌な名画たち 西洋絵画を読み解く11の視点』を読む

 絵画というものは、もちろん各々が自由に見て、好きに観賞すればいいのだけれど、「鑑賞」を知れば、愉しみは広がる。――わかってはいるけど、どうやって? そんな人も多いのではないだろうか。ことに数世紀も前に描かれた名画であれば、現代に生きる私たちにとっては〝迷画〟であることは否めない。少なくも、ただ見ているだけではその魅力を十分に汲み取れないのだ。
 本書は、そんな名画の数々を、西洋美術史の研究をされ、繊細な文章で名高い芥川賞作家の石沢麻依さんが展覧会のガイドのように解説してくれるというのだから、贅沢な一冊だ。
「西洋絵画を読み解く11の視点」というサブタイトルが示すように、テーマとなる神話や神学、詩文学、美術史や技法など、絵画の読み解き方は豊富で、名画ともなるとその奥行きはとても深い。名画に隠されたヒント、仕掛け、隠喩の数々を探していく。そしてこれがすこぶる面白い。つまりこれは「名画」を舞台にしたに謎解き物語でもあるのだ。
 絵の中に居並んだ人物が、神話上の、あるいは聖書のエピソードの人物だということはわかる。が、誰? 解説がなければ、私たちは美術館で、彼ら彼女らが誰が誰だかわからぬままに「ふーん」と眺め、小さく頷くほかはない。しかし実は、解説がなくとも誰かを知るヒントがある。テーマによっては、それとわかるように約束事があるのだ。人物の描き方は画家それぞれだが、〝アトリビュート(持物)〟というものによって人物の特定が可能なのだ。有名なところでは、聖母マリアは赤と青の衣装、マグダラのマリアは骸骨や香油壺、聖ヒエロニムスはライオン、と言う風に、絵画の中にちゃんとヒントがある。それぞれの人物のアトリビュートにまつわるエピソードを知るのもまた面白い。
 それから〝ヴァニタス〟。これも知れば面白い。静物画なんて、ただ単に手近なものを並べただけだろうと思う人もいるかも知れないが、なるほどこれらにもちゃんと意味や隠喩があるのだ。骸骨や果物、楽器、ガラス、器、パイプ、水差し――。静物画でなくとも絵画に描き込まれた「モノ」は記号としての意味を持ち、絵画を説明してくれる。
 そう、絵画は〝饒舌〟に物語っているのだ。映像技術が無かった時代に、画家は平面の中で表現者として、あらゆる技巧と仕掛けを凝らした。モノや背景にも意味を込め、時間軸をも描き込むこともした。そんなことがわかると、描画の技巧だけでなく、画家の機智も愉しめる。
そしてもしかすると、画家が何より苦心したのが発注主の存在じゃなかろうか。いつの時代も芸術は経済原理から自由ではない。知らなければ当たり前に見てしまうけれど、絵画の中に発注主、つまりスポンサーが図々しくも登場していることがあるのだ。時に絵の半分に、下手をすれば聖人になりきってご登場。もしかすると、知らぬままに感嘆のため息を漏らしている私たちを絵の中から嗤っているのかも知れない。

 著者の石沢さんは、絵画を「心のおもむくまま感じるべきだ」という考えを尊重しながらも、「鑑賞」の知識は感性を阻害するものではなく、むしろ補強するものだという。私もそう思う。名画は観る人の心に語りかける。ラ・トゥールのマグダラのマリアの背けられた顔を、私は知っている。ハンマースホイのあの部屋の暗闇を、私は知っている。ワイエスのオルソン・ハウスの静寂を、私は知っている。私だけのブリューゲルがあり、あなただけホイッスラーがあるはずだ。「心のおもむくまま」自分だけに聴こえる絵画の声は大切だと思う。そして「鑑賞」とは、更に絵画に一歩近づき、別の声にも耳を澄ますことだとじゃないだろうか。
 そして最後に自戒を込めてひと言。本書で「鑑賞」を学んでも、美術館でにわか美術評論家に変身して、連れ合い相手に声高らかに解説をはじめるようなことは慎みたい。名画はもう十分に饒舌なのだから。

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下記より、『饒舌な名画たち 西洋絵画を読み解く11の視点』第1章「聖母とマグダラのマリアの描かれ方」が読めます!

『饒舌な名画たち 西洋絵画を読み解く11の視点』4月4日発売!
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新刊紹介

松永K三蔵

まつなが・けー・さんぞう
1980年、茨城県生まれ。
関西学院大学文学部卒業。
2021年 第64回群像新人文学賞優秀作「カメオ」でデビュー。
2024年 「バリ山行」で第171回芥川龍之介賞受賞。
兵庫県西宮市在住。

石沢麻依

いしざわ・まい
1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川龍之介賞受賞。
著書に小説『貝に続く場所にて』『月の三相』、エッセイ『かりそめの星巡り』がある。

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