2022.12.16
学歴にこだわり続ける敗北者たちの声を書きたい【京大卒・佐川恭一×慶應卒・麻布競馬場 学歴対談】
パラノ的な生き方に戻った現代人
佐川 麻布さんの小説では学歴を持った人たちの社会に出た後が主に描かれますけど、それがすごくリアルですね。例えば、「3年4組のみんなへ」の「先生」も早稲田の法学部に落ちて、教育学部に入った人物。ここら辺の屈折もわかる人にはめちゃくちゃわかるんですよ。彼は在学中に教員免許取ってたから、企業で失敗しても教職に就くことができた。挫折を味わった人間の作り込みに無駄が一切ないんです。一人の人間の人生を流れるように作り上げている。
麻布 早稲田の教育学部って、別にみんな先生になりたくて行くわけじゃないんですよね。早稲田をとりあえず受けて、そこだけ受かったから入ったみたいな人も少なくないと聞きますし。
佐川 そうなんですよね。そういう人間のリアリティの描き方が麻布さんは抜群に巧い。彼は「自分自身のせいで、人生という車のトランクに、先生は何かを残すことができませんでした。」って言うじゃないですか、あれも面白かったです。村上春樹とかやったら逆なんですよね。自分から荷物を放り出す。
麻布 抱えたくないわけですね。
佐川 そうなんです、できるだけ軽やかに生きようとする人が出てくる。僕は『風の歌を聴け』がめっちゃ好きなんですけど、あの作品の最初の方で主人公が、自分は15年かけて色々なものを放り出してきた、何も身につけてこなかった、みたいなことを語る。つまり、あえて自分で重荷を捨ててきたってことですよね。昔、批評家の浅田彰さんの「スキゾ・キッズ」って言葉が流行ったと思うんですけど。
麻布 とにかく逃げろってやつですね。
佐川 はい。全てから逃亡しろというのがスキゾで、その反対がパラノイア、つまりお金とか地位とか、所有物に固執する人。浅田彰的に言うと、さっきの「タワマン」的なモノが象徴するのってパラノ的な生き方ですよね。高学歴を掴むのもいい会社に入って年収を上げていくのも、積み上げた先に成功があると信じる価値観に裏打ちされてて、スキゾとは真逆な生き方。結局、スキゾ的な生き方ってそれはそれで精神的に辛いんですよね。人間って何かを積み重ねていかないと精神的にも物質的にも安定できない。個人的な感覚では昔より「安定」の価値が高まってて、夢追い人みたいなのが憧れの対象から嘲笑の対象になってきてる気もして。今はパラノ的な価値観が強まって、スキゾ的な言説が力を失ってるように思います。
麻布 僕が生まれた頃は「失われた30年」が始まったばかりでした。つまり、僕たちはずっと不安のなかで生きざるを得なかった世代なんですよね。
佐川 確かに、ずっとズルズル沈んでいってる感がありますよね。だから、全部から逃げろなんて言えたのは社会の根底が安定してたからだって側面はあると思います。現代って社会の底が抜けてる状態だからよりどころがないとつらすぎて生きていけない。経済的にもこれまでアジアでトップだった日本が中国に抜かされて、他のアジア諸国も伸びてきて、なんとなく終焉が見えてきた。そんななかで自由に生きろって言われてもなぁ……って感じはみんなが共通して持ってるものだと思います。
麻布 不安だからこそいろんなものに執着しなくちゃ生きていけない。その一つが学歴。
佐川 そういうことになりますよねえ。
麻布 とりあえず生まれてから最初の18年間を頑張れば、その後の人生ずっと通用する紋所が手に入りますから。ただ、悲しいのはそんな無敵なはずの紋所が、いざ社会に出てみると意外と使えなかったりもする。学歴以外の紋所が必要だったことに気づいたときの虚しさたるや、ハンパないですよ。
佐川 マジでそうです。正直、自分を死ぬほど追い込んでやっと名門大合格、という人って、その過程で社会に求められる人間像からちょっとズレてしまうと思うんです。そのズレが僕は好きなんですが、現代社会ってやつは部活やりながら恋愛しながら、三年の夏からちょっとがんばってみたら結構いい大学受かりました、って人用にできてるんですよ。そんなのほとんど無理ゲーで、脱落者がたくさん生まれる。だから麻布さんの作品は現代のニーズにバッチリ応えられてるのかなって思います。頂点が見えていたのに届かなくて挫折した人。そういう人たちの悲哀が、タワマン文学には凝縮されていますよね。