2024.12.19
写真家・藤井保を訪ねて島根・石見銀山へ。東京・祐天寺から“ほぼ発売日”に『海と生きる』を届けに行ってみた。
掲載されなかった大切な1枚の写真
ふいに藤井さんが、「唐澤さんはなぜライターに?」と聞いてきた。インタビューを中心に仕事をしてきた身としては、問うことは日常だが問われることはほとんどない。いつもとは違う脳がまわる。高校生の頃、FMラジオにハガキを書いて送ったらそれが読まれたこと。それだけでもうれしかったのに、翌日の学校でそのラジオを聴いていた同級生と先輩の2人から「すごいね!」「すげぇな!」とほめられたこと。その評価のようなものがうれしくて、のちにライターを選ぶきっかけになったのかもしれないですと伝えてみる。
「うん。よくわかるな。2人〝だけ〟じゃないんですよね。2人〝も〟喜んでもらえたら、それだけで表現した甲斐のようなものがあるから。僕もいまだに、写真を撮って誰かに喜んでもらえることが一番うれしいんです」
表現者としてのピュアネス。3月のリモート取材でもいまも、藤井さんに感じる一番の印象がこれだった。『気仙沼漁師カレンダー2014』の藤井さんは、通常はプロデューサーとアートディレクターが担当するクライアントへのプレゼンを、写真家になってはじめて自分にやらせてくれと制作チームに頼んでいる。同カレンダーのクライアントは、先述の「気仙沼つばき会」である。いい写真が撮れた。彼女たちに早く見て喜んでもらいたい。そんなピュアな想いが、はじめてのプレゼンにつながったのだろう。
僕はスマホに入れておいた一枚の写真を藤井さんに見せた。正確には写真ではなくて、画像の粗いプリントアウトのスキャンデータだ。
写真のようなそれを見て懐かしそうに笑うと、藤井さんが言った。
「気仙沼の英雄である秀ノ山雷五郎像は、あの津波にも流されなかったんですよ。右手をまっすぐに海に向かって差し出している姿も印象的だったし、なによりも、絶妙な霧が立ち込めたんです。だから僕は、『気仙沼漁師カレンダー2014』でのプレゼンでもその写真を推したんですが、漁師ではないというので、つばき会の人たちにはまったく伝わらなくてね(笑)。でもそれは立場の違いですから。むしろ、あの時に妥協しなかった彼女たちのことを僕は尊敬するし、いまでもすごいなぁと思っています」
結局、秀ノ山雷五郎像の写真が同カレンダーに掲載されることはなかった。
「大きいほどうれしい」。写真家と漁師は同じことを言った
雨は少しだけ勢いを弱めるも、やみそうな気配はない。藤井さんのアトリエは、元々が一棟貸しの宿だったそうだ。箪笥などの調度品ひとつをとっても風情があった。偶然にも、僕らが〝訪銀〟した1週間ほど前には、弟子である写真家・瀧本幹也さんや孫弟子たち総勢10名がこのアトリエに遊びにきたのだそう。『海と生きる』でも記したが、藤井さんから始まった『気仙沼漁師カレンダー2014』は、瀧本さんの『気仙沼漁師カレンダー2024』で幕を閉じるという、師弟のつながりがまるっと円になった物語もあった。しかも、瀧本さんが衝撃を受けて藤井さんに弟子入りするきっかけとなった一枚の写真は、気仙沼の唐桑地区で撮影されたという偶然もはらんでいた。
「永遠のカメラ少年だね、瀧本は」
そう言って、藤井さんは愛弟子をほめたけれど、だとしたらそれは師匠譲りだ。島根県に戻ってはじめて撮影した写真のことや、僕らを連れて行ってくれたカフェに展示された自身の写真のことを嬉々として教えてくれる藤井さんこそ、永遠のカメラ少年だったのだから。
そんな永遠のカメラ少年には、写真家という人種について聞いてみたかった。『気仙沼漁師カレンダー』の取材を通じて「漁師とは?」という問いを120名に重ねてきたのだけれど、その対になるような言葉が知りたかったのだ。「写真家ってどんな人たちですか?」と聞いてみる。
「写真家なんて単純なもんですよ。撮った写真がね、大きく掲載されればされるほど、うれしい」
コーヒーを飲みながら、そう言って笑う藤井さんのうしろには、自身が桜島を撮影した大きな大きな写真が展示されていた。その言葉と笑顔に、僕は気仙沼の120分の1を思い出す。突きん棒という漁でメカジキを狙う漁師は「獲物が大きければ大きいほど興奮するよ」と、ニカっと笑ったのだった。
雨の中、駐車場まで見送ってくれた藤井さんに別れを告げてレンタカーを走らせながら、僕は偶然について想いを巡らせていた。
偶然にも鳥取大学の講義が『海を生きる』発売当日で、その翌日に藤井さんとの約束を果たせたこと。偶然にも、僕らの1週間ほど前に瀧本幹也さんも〝訪銀〟していたこと。その瀧本さんが藤井さんへの弟子入りを心に決めた一枚の写真は、偶然にも気仙沼の唐桑地区で撮影されていたこと。
雨が激しさを増し、ワイパーが右往左往する。
「縁に突然はないと思うんです」
ふと思い出されたのは書籍の「あとがき」にも掲載した「気仙沼つばき会」3代目会長・斉藤和枝さんの言葉だった。
もしも、高校時代の藤井さんがコンクールで1席をとらなかったら? もしも、瀧本さんがあの写真に衝撃を受けなかったら? もしも、「気仙沼つばき会」が漁師のカレンダーを作りたいと願わなかったら? もしも、もしも、もしも……。偶然という名の縁もまた突然には紡がれない。いくつものもしもがゆっくりと時間をかけて重なって、東京発鳥取経由島根行きのお届け旅は実現したのだ。
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【「海と生きる」1章前半試し読み】 「まだまだ気仙沼は大丈夫だ」、震災2日後にそう信じることができた白い漁船
【「海と生きる」1章後半試し読み】 「クリエイティブってなんだべ」の初プレゼン。感涙の『気仙沼漁師カレンダー』第1作が完成!
【タカザワケンジさん書評】 主役の「気仙沼つばき会」と漁師に、写真家が加わったことで奇跡的な「物語」になった
【畠山理仁さん書評】 すべての人は縁をつなぐために生きている。そんな読後感をもたらす一冊だ
【幡野広志さん書評】 モノを作る仕事をしたり、写真に関心がある人はとくに読んでもらいたい
【唐澤和也さん旅エッセイ】 写真家・藤井保を訪ねて島根・石見銀山へ。東京・祐天寺から“ほぼ発売日”に『海と生きる』を届けに行ってみた。
10名の写真家のフォトもカラー収録!
藤井保・浅田政志・川島小鳥・竹沢うるま・奥山由之・前康輔・幡野広志・市橋織江・公文健太郎・瀧本幹也――日本を代表する10名の写真家が撮影を担当し、2014年版から2024年版まで全10作を刊行。国内外で多数の賞も受賞した『気仙沼漁師カレンダー』。
そのきっかけは、地元を愛する女性たちの会、「気仙沼つばき会」の「街の宝である漁師さんたちを世界に発信したい!」という強い想いだった。本人たちいわく「田舎の普通のおばちゃん」たちが、いかにして『気仙沼漁師カレンダー』プロジェクトを10年にわたり継続させることができたのか。被写体となった漁師、撮影を担当した10名の写真家、「気仙沼つばき会」ふくむ制作スタッフなど徹底取材。多数の証言でその舞台裏を綴る。元気と感動と地方創生のヒントも学べるノンフィクション。
10名の写真家が選んだカレンダーでの思い入れの深い写真や、単独インタビューも掲載。写真ファンにとっても貴重な一冊でもある。
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