2025.8.20
人と人はわかりあえなくても、 おしゃべりできるし、 受け入れてもらえる【対談・青山ゆみこ×細川貂々】
二人が主催する「話す」「聞く」の会は、なくていい場所
————おしゃべりの大切さを知っているお二人は、それぞれ「話す」「聞く」の場を主催されています。青山さんはご自身の著書『元気じゃないけど、悪くない』の読書会(のようなもの)をきっかけに生まれた「ゲンナイ会」を、貂々さんは当事者研究をベースにした「生きるのヘタ会?」や、発達障害に興味のある人が集まる「凸凹ある会?」など3つを。詳しくは本にまとめられていますが、誰もが参加できる開かれた場でありながら、ご自身と参加者にとって居心地のよい場所をつくってこられました。そうした場での会話は、いわゆる普段の会話とどう違いますか? 心地よく話す・聞くために心がけていることは?
貂々 私は複数やっているので、会によって少しずつ趣旨や参加者が違うのですが、ポイントを挙げるなら、一つは、アドバイス禁止です。それから「私」を主語にしてしゃべってもらう。誰かが言ってたとか、テレビで言ってたとかは、なしです。
青山 いまの〝アドバイスなし〟に加えて、「ゲンナイ会」は人の体験や話を否定しないようにしています。
貂々 否定しないも大きいですね。それは違うんじゃない、とつい言ってしまう人はいますからね。それから、しゃべったことをその場に置いていく、持ち帰らないことも大事です。その場限りだから安心してしゃべれるんだと思います。
青山 そうですね。貂々さんの会のなかでいちばん長いのは、「生きるのヘタ会?」ですか?
貂々 そうですね。もうすぐ6年です。
青山 私も参加したことがありますが、参加されている人たちは、みなさん、顔見知りとまではいかなくても、前にも会ってるんだな、という雰囲気が感じられるときはあったんです。でも、個人的な話にはあまり立ち入らないというか、関係性を深める感じにはならないですよね。
貂々 はい。仲良くなる場ではないので。一度、参加者の人から、仲良しになりたいからLINE交換していいですかと言われたことがあるんです。それはダメですと言いました。仲良くなりたいなら、ほかの場所に行ってくださいと。ここは自分のもやもやを吐き出す場なので、それ以外の目的だったらほかへ行ってくださいと思っています。
青山 その点も、ほかの場とは違う点かもしれませんね。「孤立しないで誰かとつながりましょう」を目的とする場なら、LINE交換をむしろ勧めるだろうし、お盆やお正月に集まったりしますよね。人との距離を縮めていく関係性は悪いことではないし、いまの時代、むしろよいとされているけれど、しんどいときもある。50年も生きていると、日常はそうした関係で埋め尽くされていますしね。だからこそ、その場限りの「ヘタ会」などに行くと、気持ちが楽になるんだと思います。日常からいったん切り離されるからこそ、普段は言えないようなことが言えるし聞けるんだろうと。
貂々 そうなんですよね。人と人が仲良くなり過ぎると必ずややこしくなります。そのややこしさから逃れたくてここに来てるんだから、わざわざややこしい方向へ自分から向かわなくてもいいんじゃないの? というのが私の考えです。
青山 ほかに普段の人間関係と違う点といえば、普通は継続性はいいことだとされますよね。いい仕事をしたら、次も声がかかるとか。でも「ゲンナイ会」は、これまで来ていた人が来なくなっても、否定的な方向では捉えないんですよ。つまらなかったのかなとは思わない。
貂々 私もそうです。来たい人だけ、来たいときに来る場所なので。なので「来月も来ます!」と言われるとそれはちょっと違うなと思います。そのとき来たければ来てくださいって。
青山 でも私はね、そう言われたら、主催者としてちょっと嬉しいんです。やっぱり貂々さんほど割り切れてない。貂々さんは、会の趣旨はそうじゃないよね、というのをはっきりされてますよね。
貂々 はい。私がやっている会は、できればなくていい場所だと思ってるんです。でもたくさんの人が来てくれるので、みなさん、しゃべれなくて困ってるんだな、じゃあここで吐き出していってくださいって思うんですけど、ここにしがみつくのはよくないとも思っています。周囲に話したり聞いたりする相手を見つけるとか、自分のなかで整理がつけられるようになって、来なくなったらいいなって思っています。以前、1年くらい参加しつづけて、何もしゃべらない人がいたんです。人の話をじっと聞いているだけで。その人があるとき、自分の意見を言ったんですね。そうしたら来なくなりました。きっと吹っ切れて、来なくてよくなったんだと思います。
青山 でもきっと、その方の問題が解決したとか、画期的に何かが変わったとかではないんでしょうね。
貂々 そうだと思います。
青山 「ヘタ会」も「ゲンナイ会」も、人としゃべりたいけどできないとか、人と同じようにできないとか、困りごとや悩みや不安といった〝何か〟を抱えている人が集まる場ですよね。そうした何かを否定されず、ジャッジもされず、聞いてもらえる。つまり「ある」ことは認められる。そうやって人に受け入れられると、自分自身を受け入れられるようになっていくのかなと思います。そうなると、会には来なくなるのかなと。
貂々 そう思いますね。人のことだからわからないですけどね。
青山 はい、ほんとうにそうですね。
