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なぜ108回叩くのか? 自称・煩悩まみれの僧侶が「除夜の鐘」の意味を解説

なぜ108回叩くのか? 自称・煩悩まみれの僧侶が「除夜の鐘」の意味を解説

なぜ除夜の鐘は108回叩くのか

 除夜の鐘とは、大晦日に『紅白歌合戦』の後にやってる、毎年坊主が鐘を鳴らしてるあれである。除夜の鐘の謂(いわ) れにはいろんな説があって、108回鐘を鳴らすところもあれば18回だけ鳴らすところも多いのだけど、その「108」というのが煩悩の総数であり、1年で生じた煩悩を滅するために鐘を鳴らしているというのが有力説なのだそうだ。
 とはいえ、ここでマジレスさせてもらうと、鐘の音を聞いたからといって、貪・瞋・痴にすぐさま影響があるかと言われたら、ぶっちゃけ皆無。鐘の音だけで煩悩が消えたらば、ブッダもライザップもいらない。

 じゃあ、なんで除夜の鐘にそんな謂れがあるのかというと、これは僕の推論だけど、昔の人は鐘の音を聞きながら、瞑想に近いことをしていたのではないだろうか。
 最近だと、瞑想や坐禅、マインドフルネスがいいなんていう話を聞いたことがあるかもしれない。言わずもがな、それらの実践は仏教をルーツにしているもので、そこで求められるのは簡単に言えばただ一つのことに集中すること。自分の呼吸に集中したり、「歩く禅」といって自分の一歩一歩に集中したりすることもある。瞑想の達人は、音を右耳だけで聞くこともできるのだという。

 除夜の鐘だって、お寺という静寂の中で、音にだけ集中すれば自分の心に向き合える一つの機会になるだろう。僕らは無意識に外部からの刺激を受けて、様々な感情を頭の中に浮かべてしまっている。まずは落ち着いた環境に身を置いて、ただ一つに集中するのだ。
 向き合ったときにいろんな心の声が湧き上がってくるだろう。Amazonで要らんもの買ってしまってたな〜とか、他人のインスタ見て無駄に嫉妬していたな〜とか。自分の心の動きを振り返って観察する中に、煩悩から離れる瞬間がたくさん見つかるはずである。
 別に、欲望や怒りや妄想を心に浮かべてしまうこと自体に、嫌悪感を抱く必要はない。仏教には「泥中でいちゅうはす」といって、蓮が汚い泥の中でしか花を咲かせないように、自分自身の煩悩を見つめる眼が深ければ深いほど、悟りにも近づくのだというマジありがたい教えもある。つまり、煩悩がなければ悟りにだって至れないのだ。
 だって人間なんだもの、バグること自体は仕方がない。これまで数々の名僧たちも「煩悩なくならねぇ」とその壁にぶち当たってきたのだ。大切なのは、心はバグるという事実を認識して、自分の心を過信しないこと。そして、「自分、今バグってんな」と自分で自分を観察する心の余裕が大事なのである。
 108の鐘の音が響く中、今年あなたは何を思うだろうか。あの鐘を鳴らすのは、どうせ名も知らぬ坊主だが、他でもない、あなたの心のために鐘は鳴っているのだ。

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稲田ズイキ

いなだ・ずいき●僧侶。1992年京都の月仲山称名寺生まれで現・副住職。同志社大学を卒業、同大学院法学研究科を中退、その後デジタルエージェンシー企業インフォバーンに入社。2018年に独立し、寺に定住せず煩悩タップリな企画をやる「煩悩クリエイター」として活動中。コラム連載など、文筆業のかたわら、お寺ミュージカル映画祭「テ・ラ・ランド」や失恋浄化バー「失恋供養」、煩悩浄化トークイベント「煩悩ナイト」などリアルイベントを企画しています。フリースタイルな僧侶たちWeb編集長。Twitter @andymizuki
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