2020.12.26
日本ハムドラフト4位、智弁和歌山・細川凌平選手と父との絆
ほんまに野球が好きなんやなあ
小学二年生の冬に野球を始めた凌平は、中学三年でボーイズ日本代表として世界少年野球大会出場を果たしている。
「子どものころから、足が速いこともあって、『あんたんとこの子、めっちゃうまいな』と言われることはあったけど、ほかと比べてうまいかどうか、レベルなんかもようわからへんし。『そうなんや』ぐらいで聞いていました」
小さいころから、とにかく野球が好きな子どもだった。
「幼稚園のときから、家に帰ってきたらスポンジのボール持ってきて、『投げて〜』っていうのが始まって、いつもそれを打っていましたね。幼稚園の先生からも『凌平くんとやったら、ずっと野球の話ができるな』と言われていて。本人は阪神ファンだったんですけど、野球全部が好き。朝起きたら社会人野球の都市対抗とかも見てて、『ほんまに野球好きなんやなあ』と思っていました」
野球好きの少年がプロ野球選手になるという目標を掲げるのは自然なことだった。
「小学校のころには『プロ野球選手になりたい』という夢じゃなくて、『プロ野球選手になる』という目標ができていて、どういうふうにしてそこまで進んでいけばいいかを、僕と凌平で話し合いながら決めていきました。ボーイズのチームに入るときも、智弁和歌山に入るときも」
凌平は高校入学後すぐに頭角を現し、試合出場のチャンスをつかんだ。一年生の夏から甲子園に出場。二年生の春のセンバツ、夏の甲子園は背番号8をつけてレギュラーとして試合に出た。夏の明徳義塾戦でスリーランホームラン、星稜戦では奥川恭伸(現東京ヤクルトスワローズ)からヒットを放っている。
「去年の甲子園でホームランは見られたから、初めて凌平を褒めました。『今日はほんま、カッコよかったわ』と言いました。普段は、ホームランを打った試合でも『ほかの打席はどうやったん?』から始めますしね。『もっとよくするために考えんと』と言うてました。野球のことを話せるのは楽しいですね」
新チームになってからはキャプテンを任され、センバツ出場のかかった秋の公式戦では打率4割8分4厘、1本塁打、12打点と活躍した。本人にとって4度目の出場となる春のセンバツ出場が決まっていたが、大会中止の憂き目を見た。