2020.12.26
日本ハムドラフト4位、智弁和歌山・細川凌平選手と父との絆
今年8月、甲子園交流試合開催時に放送された朝日放送テレビ「2020高校野球 僕らの夏」。その番組取材班だから見つめることができた、球児たちの感動ドキュメントが『消えた甲子園 2020高校野球 僕らの夏』です。特別な夏、球児たちが刻んだ「僕らの証」とはいったんなんだったのか?
全8章にまとめられた単行本の中から、3回にわたり内容を紹介していく特別企画。初回は【第2章:球児を奮い立たせた家族の力】より、智弁和歌山・細川凌平選手と父との絆を特別に紹介します。北海道日本ハムファイターズからドラフト4位指名されプロになる細川選手の2020年、高校生活最後の夏を振り返ります。
※書籍から一部抜粋・再編集しています。
(構成/よみタイ編集部)
『僕らの夏』制作スタッフの木村奈津美は、4年ほど前から智弁和歌山(和歌山)の取材を行っている。キャプテンでショートを守る細川凌平は、入学前から知る人ぞ知る存在だった。木村が言う。
「京都からものすごく足の速い選手が入ってくるという評判でした。親御さんが、保津川下りに関わる仕事をしているとも聞いたので、いつか取材をしてみたいなと思っていました。彼は下級生のころから試合に出ていましたが、そのときは三年生を取り上げることが多く、なかなか難しくて。でも、二年の秋にキャプテンになったこともあって、『僕らの夏』で取材させてもらうことになりました」
丹波亀岡から嵐山までの約16キロの渓流を2時間かけて下る保津川下りは、京都観光の定番でもある。乗客におでんやみたらし団子を売る売店船も名物になっている。その売店船が細川の父・佳介さんの仕事場だ。
「本人は、とても家族思いですね。コロナの影響で観光の仕事が厳しいことがわかっているから、細川くんは気にかけているようでした。お父さんとは特に仲がいいみたいです」
智弁和歌山入学後の細川は、順調な歩みを見せた。一年夏の甲子園でベンチ入り(背番号16)、その後はレギュラーとしてチームに欠かせない選手になった。
「細川くんはストイックですね。とにかく、真面目。去年、黒川史陽(現東北楽天ゴールデンイーグルス)というキャプテンがいて、彼といつも一緒に過ごしていたのですが、黒川くんを見ていたこともあって、意識の高さ、野球に取り組む姿勢が素晴らしい。自分に厳しく他人にも厳しい、野球に対してとにかくストイックという印象です。そういう子たちがプロの世界に行くのだろうなと思いました」
父親はわが子をどう見ていたのか? 佳介さんは言う。
「観光業なので、土日に試合があるときは仕事も忙しくて、野球の試合を見に行けませんでした。夏の時季は、朝起きたら仕事に行って、家に戻ってくるのは22時くらい。ただ寝に帰るだけという感じになりますから。祖父母に子育てを任せることも多くて、子どもにはさびしい思いをさせたかもしれませんね」
佳介さんの仕事は代々、家業として受け継がれてきたものだ。細川の祖父もまだ現役で、佳介さんが3代目に当たる。
「正確にはわからないけど、100年以上は続いているはずです。河川は国の管轄で、いまの法律では同じような商売はできなくなっていますが、法律ができる以前からうちはやっているので認められているという感じですね。全国でも珍しいようです。
冬の時季は観光業も暇になるので、1月、2月の試合は見に行っていましたけど、中学に入ってからは難しくなりました。ジャパンの試合のときも、アメリカには行きませんでした。もちろん、妻も僕も見に行きたい気持ちはあったんやけど、生活するための仕事なんで、そこはもうしょうがない。自分らは仕事を頑張って、凌平は野球を頑張ってっていうふうに考えていました。凌平も見に来てほしかったと思うけど、理解してくれました」