よみタイ

「夫婦のバイブルです」 直木賞作家・佐藤賢一さんが読む『妻が口をきいてくれません』

 誠みたいに取り引き先が難しい場合もあります。誠は丸山さんで幸いしましたが、上司が苦手なタイプなときだってある。子育ても大変ですけれど、あいつらにだって大人の理屈なんか通用しません。そのくせ権力ふるえるっていうんだから。

 もう本当に、つらい。で、家に帰ると、ついホッとしちゃうんです。もう何も気が回らなくなる。いや、わかっています。甘えです。しょうがない奴なんです。でもね、甘えっちゃあ、妻も甘えじゃないですか。育児が大変なこと、わかってほしい。家事に手が回らないこと、指摘しないでほしい。つらかったこと、傷ついたこと、共感してほしい。うん、わかってあげたいのは山々なんですが、そんな余裕ないんです。あるわけがない。だって、妻にもないでしょう。ダラダラしてる夫を大目にみよう、なんて気にはなれないでしょう。

単行本『妻が口をきいてくれません』より。
単行本『妻が口をきいてくれません』より。

 結局、それです。働いていく。子供を育てていく。つまるところ生きていく。これ、しんどいんです。特に三十代とか四十代は、もう殺人的です。常にいっぱい、いっぱい。そうなると、どうしてだか夫は妻のこと、妻は夫のこと、後回しにしちゃうんですね。

 それで妻が口をきいてくれませんと──作中の美咲がやった五年は凄いなと思いましたし、一週間で復活してくれるなんて、おまえ、すごく優しい女性だったんだなと、うちのには急に感謝してしまいましたが、それでも、ううむ、突き放して思いなおすと、差はあれ、どこの夫婦も似たようなものじゃないでしょうか。

 共働きの夫婦だって、形は違えど、やっぱりしんどいし、お互いに癒されない。それで不平不満は募るし、絶望すれば会話もなくなる。家庭は確かに地獄なんですけど、それって、けっこう普通のことですよね。

『妻が口をきいてくれません』

 だから、もう夫婦のバイブルです。で、地獄なんだからと、丸山さんの選択もひとつ。誠と美咲の道もひとつ。子供も大きくなって、仕事も落ち着いて、夫婦そのものが試されるのって、実はここからなのかなとも思いました。えっ、すでに手遅れ……。

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新刊紹介

佐藤賢一

1968年山形県鶴岡市生まれ。山形大学教育学部卒業。東北大学大学院文学研究科フランス文学専攻博士課程単位取得満期退学。
1993年『ジャガーになった男』で第6回小説すばる新人賞受賞。99年『王妃の離婚』(集英社)で第121回直木賞受賞。2014年『小説フランス革命』(集英社)で第68回毎日出版文化賞特別賞受賞。2020年『ナポレオン』(集英社)で第24回司馬遼太郎賞受賞。主にヨーロッパ史を題材とした歴史小説を多く手掛けているが、近年は日本、アメリカを舞台とした作品も発表し舞台化されたりなど話題となる。日本語のみならず、フランス語などの外国語文献にもあたり蓄積した膨大な歴史的知識がベースの小説、ノンフィクションともに評価が高い。
著書に下記などがある。
<小説>
『傭兵ピエール』『双頭の鷲』『カルチェ・ラタン』『オクシタニア』『黒い悪魔』『褐色の文豪』『ハンニバル戦争』『ナポレオン』『女信長』『新徴組』『日蓮』『最終飛行』ほか。
<ノンフィクション>
『英仏百年戦争』『カペー朝』『テンプル騎士団』『ドゥ・ゴール』『ブルボン朝』ほか。
<漫画原作>
『傭兵ピエール』『かの名はポンパドール』

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