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アナキスト・栗原康が「いきなり!ステーキ」を偏愛する理由

生活のため、娯楽のため――人は何かを買わなければ、生きていけない生き物です。
何を買うか、を通して、その人の暮らしや大切にしているものが垣間見えます。
コロナ禍のなか、何を買い、何を思うのか。
政治学者でアナキズム研究者の栗原康さんに、緊急事態宣言下の「いきなり!ステーキ」を訪れたエピソードを書いていただきました。
大杉栄や伊藤野枝についての著作でも知られる、政治学者・アナキストの栗原康さん
大杉栄や伊藤野枝についての著作でも知られる、政治学者・アナキストの栗原康さん

 わたしはふだんあまりカネをつかわない。もちろん食べ物や「麦とホップ〈黒〉」、タバコや本などの生活必需品は買うのだが、それ以外はほとんどつかわない。ズボンはジーンズ一本あればいいし、靴はコンバース一足。どちらもペロッペロになって擦りきれるまではいてしまう。パソコンもケータイももっているが、いちど買えばそうそう壊れるものでもないし、ケータイなどはかれこれ一五年ちかくおなじものをつかっている。とうぜんガラケーだ。なぜそうなのか。禁欲的なのではない。断じてちがう。酒でも本でもほしいものがあれば、日銭がなくなるまで買いまくる。ならばポリシーや主義主張でそうしているのかというと、そうでもない。あたまで考えてやっているわけではないのである。

 わたしはアナキストだ。アナキズムとは直訳すると「無支配主義」。支配されたくない、ただそれだけだ。なにに支配されたくないのかというとすべてなのだが、ひとつはカネ。そういうとよく、おまえはカネがほしくないのかといわれるのだが、そうではない。カネはほしい。というか四六時中、カネのことばかり考えている。いつもだれかカネをくれないかなとか、友だちにレディ・ガガがいればいいのにとか、そんなことばかりだ。だけどイヤなのは、この資本主義ではカネが生きる尺度になっていることである。人間が支払い能力で選別される。まっとうな人間はこれくらい稼げなければいけない、これくらいのモノは買えなければいけない。そういってひととひととのあいだにヒエラルキーをつくられるのがイヤなのだ。
 それがわたしの主義主張だ。だけど、だからといってつねにカネにたよらずに生きなくてはいけない、みんな自給自足の生活をしなければいけないといわれると、それもイヤになる。そういう生活をしている人たちには尊敬の念しかないし、それが現代でもできるのだということを示すのはだいじだとおもうが、いざ、ぜんぶ自分でつくれといわれると、正直、めんどうくさくなってしまう。できればタダでひとからもらいたいし、なによりカネをだしてでも「麦とホップ〈黒〉」が飲みたい。まわりくどいいいかたになってしまうが、カネによる支配に反対するというかたちで、カネにふりまわされるのがイヤなのだ。もっと自分の身体に素直でありたい。あれもほしい、これもほしい、もっとほしい、もっともっとほしい。カネはいらない、カネがほしい。その矛盾をふつうに生きる。

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栗原康

くりはら・やすし 
1979年埼玉県生まれ。政治学者。専門はアナキズム研究。著書に『大杉栄伝―永遠のアナキズム』『はたらかないで、たらふく食べたい』『村に火をつけ、白痴になれ―伊藤野枝伝』『執念深い貧乏性』などがある。

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