2020.11.8
“作家・川村エミコ”の生みの親!? 石田衣良が読む『わたしもかわいく生まれたかったな』
“お笑い”が磨き上げた言葉のセンス
――川村さんは、ライターさんに聞き書きしてもらう形ではなく、自分で書くことになって、毎回書き出すまでにずいぶん時間がかかったと仰っています。過去の記憶をずっとずっと掘り起こしていって、「感情の源泉」みたいなものにぶつかるまで掘っていかないと書き始めることができないそうで。
黒沢明は、「映画の才能とは記憶のことだ」と言っています。ちゃんと覚えていられて、自分の記憶に“インデックス”をつけて使える人が、才能のある人。
僕も小説を書くときには必ず自分の記憶やそのときの感情を入れるようにしています。自分の経験に限定する必要もなくて、忘れられない映画の1シーンだったり、本の中の1フレーズでもいい。自分の琴線に触れる物事をどれだけ覚えているかってこと。
この部分なんか、川村さんの記憶力と描写力の素晴らしさがよくわかります。
あの教室での先生と私の身体の角度、先生のめがねの光り具合、その奥の目、生成りの白のブラウス、そのブラウスの柄を鮮明に覚えております。変な刺繍だなぁと意識を刺繍に集中させて気をまぎらわしていました。太陽の日差しがとても強い日でした。
(『わたしもかわいく生まれたかったな』所収「ヒミツの転校生」P.73より)
ものを書く人の目ってこういうことだと思う。
自分の記憶をここまで克明に描写できるのは、お笑いの世界でネタを作ったりしているところが生きているんじゃないかと思います。セリフや、二人の位置関係一つで、面白さって全然変わってしまうから、そういう経験が磨き上げたところはあるんじゃないかな。