2020.9.20
40年休載なしの『こち亀』作者に学ぶセルフマネジメントの極意~秋本治の仕事術その1
この偉業の背景には、どのような思考や行動、努力があったのでしょうか。
今回はそのマインドやハウツーをあますところなく語ってくださったビジネス指南書『秋本治の仕事術 『こち亀』作者が40年間休まず週刊連載を続けられた理由』から、秋本さんが実践する「セルフマネジメント術」を3つご紹介します。
ネットビジネスやリモートワーク……仕事の形態が多彩になっている今、必読のヒントが満載です!
*書籍から一部抜粋・再編集してお届けします。
Q.変化の激しい時代だからこそ、自分の仕事をきちんと続けるのが難しくて……
急速なデジタルの普及や消費の変化に伴い、働き方はもちろん、仕事の在り方や仕事への考え方そのものも変わってきつつあります。
もはや当たり前のように言われているワークライフバランスに加え、私たちは新型コロナウイルスの影響という未曾有の状況下におけるリモートワーク、突然の業務内容の変化といった新局面にも直面しています。
自分の仕事をコンスタントに、できれば満足感高く続けていくためには、どのような考え方や行動が必要なのでしょうか。
40年間休まず漫画週刊誌の連載を続けてきた秋本さんは、こうした「変化」と「継続」の共存についてこのように考えています。
A.変化を恐れない 。『こち亀』も変化したからこれだけ長く続いた
『こち亀』は一九七六(昭和51)年に連載がスタートした作品です。それに先立つ昭和40年代ごろ、大阪からはじまったハードボイルドなタッチとストーリーを特徴とするマンガ=劇画が東京に持ちこまれ、出版界に劇画ブームが起こりました。
劇画というのはもともと、読む人を選ぶマンガと思われていたので、今のように「まずは雑誌で連載」というわけではなく。最初から単行本で出版されるのが常でした。しかし東京の出版社は、そんな劇画の作家を連れてきて作品を雑誌に掲載したのです。
それまでの雑誌に掲載されるマンガはというと、手塚治虫先生を祖とするトキワ荘出身の先生方が描くような、どちらかというとほのぼのとした作品が中心でした。そこに突如として現れた、リアルな絵と派手なストーリーのハードボイルドな劇画は、読者から驚きと称賛で迎えられ、非常に大きな反響を呼んだのです。
僕がデビューしたのは、マンガ界がそんなムードに包まれていたころでした。
劇画の世界では、リアルな銃が出てきて登場人物が撃たれて殺されてしまったり、誰もが憧れるような高級外車が出てきたりと、本当に映画のような世界です。
僕はそうした劇画に強い影響を受けていたので、初期の『こち亀』は中期・後期のそれとはまったく違う雰囲気。少年誌に連載されるギャグマンガでありながら、リアルなタッチで描きこみ、主人公である両津勘吉もはちゃめちゃな性格に描いていました。
当時、劇画風味のギャグマンガというアイデア自体が斬新だったようで、『こち亀』の反響は大きかったわけです。
しかし連載が長く続くうちに、そうしたテイストのままでは先が見えてこなくなってきました。そんなとき、担当編集者から思わぬ提案がありました。下町をテーマに描くのがいいのではないかというのです。
僕は東京の下町生まれですので、ただ身近だったという理由で『こち亀』の舞台も下町に設定していましたが、それまで下町のこと自体をテーマに描くなんていう頭はなかったのです。
「そんな、自分の近所の話でいいんですか?」と半信半疑でした。でも、一度ベーゴマのことや浅草の話などを描いてみたら、読者の子どもたちから意外な好反応がありました。僕にとってはあまりにも当たり前だった下町の日常が、当時の現代っ子には珍しいものとして映ったのでしょう。下町の話だったら、ネタは腐るほどありましたから、『こち亀』は下町路線へと大きく舵を切ったのです。
それ以降も、『こち亀』は最初に設定した路線にこだわらず、そのときどきに僕の好きだったもの、たとえばミリタリーやゲーム、デジタル機器などをテーマとして取り入れ、少しずつ内容を変化させていきました。
もし僕が、『こち亀』はハードボイルド風味のギャグマンガだという初期設定にこだわり、頑なに内容を変化させなかったとしたら、ここまで続くことには決してならなかったでしょう。
変化を恐れないこと、これはマンガ以外の仕事にもいえるのではないかと思います。