2021.8.26
ドクターマーチンはなぜカッコいいのか。作業靴をファッションアイテムに変えた「スキンヘッズ」の文化史
ルードボーイズとの共鳴
スキンズはモッズが愛したモータウンなどのソウルミュージックを好んだが、ヒッピーの好むプログレやサイケ、フォークなどは忌み嫌った。そして自分たちだけの音楽を求めてたどりついたのが、ジャマイカからの移民が本国から持ち込み、ルードボーイズが愛したブルービートと呼ばれる音楽だった。デズモンド・デッカーやザ・スカタライツ、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ、デイヴィッド・アイザック、ジ・アップセッターズ、ローレル・エイトキン、アルトン・エリスなどが演奏するスカやロックステディ、初期レゲエである。ワーキングクラスで虐げられるイギリス白人の反骨精神と、ジャマイカのやはりワーキングクラス思想であるラスタファリが共鳴した結果であるとも考えられる。
スキンズは、服装面でもルードボーイズスタイルから影響を受けていく。ラップアラウンドサングラス、光が当たると色味を変えるモヘア素材のトニックスーツ、白い靴下、ブローグシューズ、黒いロングコート、ポークパイハットなどは、ルードボーイズ由来のアイテムだ。
スキンズ最盛期
1960年代の後半が近づくにつれ、イギリスの主要都市ではどこでも坊主頭が闊歩するようになった。その頃のスキンヘッズの間で流行ったのが、ボマージャケットと呼ばれる爆撃機の乗員用ジャンパーだった。特に、1950年代初頭にアメリカ空軍が開発したMA-1が人気となる。
当時、彼らが多く住むロンドンのイーストエンドなどでは、レゲエの中古レコードが大量に出回っていた。1969年にはデズモンド・デッカーの『イズレアライツ』がヒットチャート1位を獲得し、シマリップの『スキンヘッド・ムーンストンプ』や『スキンヘッド・ガール』のように、スキンズをテーマにした楽曲もヒットチャートにのぼるようになる。
ちなみに、粗野なスタイルであるスキンヘッズは、基本的に男性中心のカルチャーだったが、シマリップが歌ったように、女性でもこのカルチャーに身を投じる者がいた。彼女たち=スキンヘッド・ガールのスタイルは、基本的に男性のものとあまり変わらない。肉体労働に従事する男性がつくり出した無骨なワーキングスタイルを、女性もほとんどそのまま受け継いでいたのだ。
特徴的なのはその髪型で、前髪やもみ上げ、後ろ髪などの裾部分を長く伸ばしたまま、頭頂部を男性と同様に五分刈りにしていた。デニムパンツの代わりに、デニムのタイトなミニスカートと網タイツ、またドクターマーチンの代わりにモンキーブーツを履く者も多かった。
スキンズのライフスタイル
仲間意識と地元志向の強かったスキンズはサッカーを愛し、地元のチームを応援するために大挙してスタジアムに押し寄せた。彼らにとってサッカープレーヤーは、みずからの肉体ひとつで勝ち取った栄光の舞台で活躍する英雄そのものだったのだ。普段はフレッドペリーのポロシャツかベンシャーマンのボタンダウンシャツを着て、肉体を使って働いたり街をうろついたりサッカー場に集ったりし、週末の夜になるとルードボーイズ風のトニックスーツスタイルでキメてクラブに向かう。それが典型的なスキンズのライフスタイルだ。
白人ワーキングクラスの彼らは、同時期に世界のユースカルチャーの主流を成していた博愛主義のヒッピーとは対極に位置し、保守的で短気で乱暴だった。イギリス人としての愛国主義理念にとらわれながら、彼らを疎外する政府や社会、学校や家庭、他のユースカルチャーに苛立ちを募らせていた。最初のうちはサッカー場の観客席での乱闘で鬱憤を晴らしていたが、やがてストリートでヒッピーやゲイ、そして移民を攻撃するようになる。