2021.8.26
ドクターマーチンはなぜカッコいいのか。作業靴をファッションアイテムに変えた「スキンヘッズ」の文化史
本書は、「smart」元編集長の佐藤誠二朗さんが、モッズ、ヒッピー、ノームコアなど、ストリートスタイルの成り立ちや変遷を詳細に解説した1冊です。
このロングヒット重版を記念して、短期連載特集「なぜそれはカッコいいのか〜『ストリート・トラッド』でひも解くスタイルの原点」をお届けします。
ビッグシルエット、アウトドア、ドクターマーチンといった、今また多くの人々に支持されるファッションの源流となっているストリートスタイルについて、書籍『ストリート・トラッド〜メンズファッションは温故知新』から抜粋して解説。著者・佐藤さんの書き下ろしコメントとともに紹介します。
全3回の特別企画です!
連載特集最終回の今回は、今なお人気のシューズブランド「ドクターマーチン」のルーツを探ります。
もともとは作業靴だったこのブーツを初めておしゃれに取り入れたのは、1960 年代のイギリスに現れた「スキンヘッズ」と呼ばれる若者たちでした。
●第1回 ビッグシルエットの原点「ズーティーズ」
●第2回 アウトドアスタイルの原点「ヒッピー」
*書籍『ストリート・トラッド 〜メンズファッションは温故知新』から一部抜粋・再編集してお届けします。
硬派なモッズ=ハードモッズ
全盛期にいくつかの派閥に分かれたモッズは、1960年代中頃を過ぎると、二つの大きな流れへと集約されていく。
ハイギアやスクーターズ系のモッズは、スタイルをよりきらびやかに発展させ、サイケデリックを経てヒッピーへと流れていく、スウィンギングロンドン一派となっていた。
そしてその波に乗りたくなかった少数派であるローギアやルードボーイズ系のモッズは、本来のモッズが持っていた粗野で男らしい部分を強調し、よりシンプルに先鋭化させていく動きに出る。彼らは硬派なモッズ=ハードモッズと呼ばれるようになった。
ミドルクラスが多かったスウィンギングロンドン派と違い、ワーキングクラス層が多かったハードモッズは、アイデンティティを誇示するため、ドクターマーチンやスティールトゥのごついワークブーツ、自慢のブーツを強調できるようにロールアップしたリーバイス501やアーミーパンツ、あるいはリーバイスのノーアイロンスラックスであるスタプレス、厚手のドンキージャケット、ハリントンジャケットの通称で知られるバラクータのG9、そしてベンシャーマンのボタンダウンシャツに目立つサスペンダーという男らしいアイテムを身につけ、髪をどんどん短くしていった。
スキンヘッズの誕生
髪を五分刈りまで刈り込む強面スタイルが確立されると、彼らの呼び名はいつしかスキンヘッズ(スキンズ)へと変わっていった。
より正確な書き方をするならば、オリジナルモッズだった人が、ハードモッズ、そしてスキンヘッズへと進化していったわけではない。基本的にはいずれのユースカルチャーも、その時々の10代後半から20代前半の若者が中心になるからである。例えばオリジナルモッズやハードモッズの弟たちが、兄のスタイルを真似しつつ先鋭化させ、スキンヘッズスタイルをつくっていったということになるはずだ。
フレッドペリーのポロシャツ、ベンシャーマンのボタンダウンシャツ、リーバイスの501とスタプレス、サスペンダー、ハリントンジャケットなど、スキンヘッズスタイルの基本アイテムはいくつもあるが、もっとも愛されたのはドクターマーチンのブーツだ。
ドクターマーチンとは、第二次世界大戦後間もなく、ドイツ人医師のクラウス・マーチンが開発したバウンシングソールと呼ばれるエアークッションのきいた靴底を施したワークブーツである。当初は本来の目的通り、郵便配達人や警察官、工場労働者などに愛用された実用本位の作業靴だったが、ワーキングクラス層のスキンヘッズはこのブーツをおしゃれに用いるようになる。
ハードモッズや初期スキンズには黒革のものやロングタイプも履かれていたが、やがてチェリーレッド(赤茶色)の8ホール(シューレースを通す穴が片側八つずつ)、型番1460がもっともクールであると認識され、スキンズを象徴するアイテムになっていった。
シューレースは黒が基本だが、白や黄色でもOK。フロントでクロスさせず横一文字で思い切りきつく締め、左右の外羽根が隙間なくぴったりくっつくようにするのがスキンズ流だった。