2021.7.25
貞子を生んだ鈴木光司氏が20年封印していた無人島のビデオに映っていたもの
2020年に刊行した『海の怪』は、「よみタイ」連載(2019年11月〜2020年7月)に書き下ろしを加えた珠玉の怪談集です。
25年に及ぶ鈴木さん自身の航海経験を中心に、海の底知れぬ魅力と、海をめぐる無限の恐怖が入り混じる18のエピソードが収録されています。
怪談家の稲川淳二さんからは「心地よい恐怖に浸るうちに怪異な闇に呑み込まれてゆく極上のミステリーに酔い痴れました」と絶賛コメントが寄せられました。
この刊行から約1年経ち、鈴木さんから書き下ろしのホラーエピソードが届きました。
『海の怪』にも収録された無人島の出来事「誰か、いる」の後日談。
驚愕の事実が、今、明かされます……。
誰か、いた
クルーズの途中で上陸した無人島の数は、国内外を合わせて軽く20を超える。
陸地を見ると上陸したくなるのはヨット乗りの性なのだろう。特に、無人島となれば上陸願望はさらに高まる。
無人島といっても、当初より住民がいない島(尖閣諸島、神子元島など)もあれば、何らかの理由で島民が離島して無人となった島(軍艦島、鳥島など)もある。後者の場合、島のあちこちに集落の跡が残っていて独特の趣がある。
20年ばかり前、鹿児島から奄美大島方面に航行中に上陸したのは、1970年に全島民が離島した無人島であった。
切り立った崖に囲まれた島に静かな入り江はなく、ぼくを含めて四人のメンバーは、沖合に停泊させた船からテンダー・ボートを下ろし、波に洗われる岩にボートの舳先をつけて上陸するほかなかった。陸に飛び移った後、すぐに崖の上にある集落跡へと向かった。
廃屋が並んでいたのは、吹きさらしの平坦な台地であった。木造の家はほぼ跡形もなく朽ち果て、コンクリート製の建物のみわずかに形骸を残すばかり。屋内には、ベッドや布団、箪笥、家電製品など、生活者の遺留品が散乱し、ここで暮らしていた人々の生活臭を生々しく立ち上がらせていた。
無人島となって30年以上が経過しているため、家電製品の型は古く、洗濯機は当然二槽式、小学生の頃の懐かしい日々が思い起こされてくる。押し入れ中段に放置された新聞には、同時期に共有した出来事の記事が載っていたりする。見出しを見ているだけで、タイムカプセルを掘り起こしたような気分になってくる。
廃墟探索を一通り終えると、ぼくたちは集落の背後に迫る森の小道を辿って山頂を目指すことにした。最初のうちこそ、無邪気に胸を躍らせ、バカ話に花を咲かせて鬱蒼とした獣道を進んでいたのだが、徐々にわれわれの口は重くなっていった。
ほぼ同時に、全員が、不穏な空気を察知したからである。
無人島である以上、われわれを除いて人間はだれひとりいないはずである。にもかかわらず、何者かに見られている気がしてならない。ただ見られているというより、監視されていると思えてならず、蒸し暑い中にあって悪寒が増していった。
ひとりがその不安を口にするや、残り三人もすぐに同意して、四人揃って「誰かがいる」という気配を察知したという事実が判明する。
もはや「気のせい」で片づけるわけにはいかない。意気揚々とした歩幅はいつの間にか小さくなり、われわれは周囲に警戒の目を向けながら進むようになった。
と、そのとき、小道の脇の茂みにガサガサと葉擦れの音が湧き上がった。風もないのになぜか枝と葉が揺れている……。足を止め、身体を硬直させ、ごくりと唾を飲み込みながら音のする方に近寄り、枝を手で押し上げて奥の斜面に顔を向けたところ、そこにいるものと目が合った。
そいつは細面で、くりっと丸い目をしていた。
「あ!」と声を上げたとたん、そいつは身を翻し、ピョンピョンと軽やかに跳躍して茂みの奥に駆け出し、さらに数頭が続いて群れを成し、静寂に包まれていた森はにわかに喧しくなった。
「誰かいる」という気配を醸し出していたのは野生の鹿であった。
幽霊の正体見たり枯尾花……。
人間に不慣れな野生の鹿が樹々の陰に身を潜めてわれわれの動向をうかがっていたのだ。
不穏な空気の理由がわかるや、一同「なんだ」と胸を撫で下ろし、力強い歩幅を取り戻して山頂に到達。眼下に海を見下ろす雄大な景色を堪能した後、船に戻ったのだった。