2020.4.17
なぜ病気になるまで飲んでしまうのか? アルコール依存症・回復者インタビュー
妻から「治療しないなら離婚する」と言われて…
Kさんは現在59歳。都内の外資系ホテルの客室整備の仕事をしています。
Kさんがアルコール依存症の診断を受けたのは47歳のときでした。受診は自分から、ということでしたが、よく聞いてみると、受診に至るまでに、すでにさまざまなアルコール関連問題が起こっていたようです。
「何だかちょっと、僕の飲み方おかしいんじゃないかな、って思ったんです。自分でもう制御できてないな、って。もともと20代から、飲み出すと止まらないタイプ。大酒飲み特有の武勇伝っていうんですか(笑)、裸で六本木を走り回ったとか、そんな話には事欠かない。でも30代までは、周りから『あいつ、飲むとやばいよね』って言われるくらいで済んでいたんです。
40代に入ってからだんだん酒量が増えていったんですよね。毎晩、夕飯のときから飲み始めて、まずビールを大瓶で5本くらい飲むでしょ、それで、22時くらいから、今度は焼酎かウィスキー、日本酒なら一升瓶を飲む。だいたい1本飲み終わる頃には、2時とか3時になってる。そのまま寝られれば寝ますし、寝つけなければ倒れるまで飲む。こんな感じで3年くらい飲んでいたのかな。
最初にクリニックに行ったとき、医者には嘘だろう、って言われたんです。こんな量、毎晩飲んで3年も無事でいられるわけがないって。でも僕は、ありがたいことに体が異常にお酒に対して丈夫というか、耐性ができすぎたみたいですね」
これで体を壊さなかったことが信じられない量ですが、さすがに毎晩飲んでいると、当然翌朝起きられなくなり、昼夜逆転生活が始まりました。当時勤めていた会社では、飲みながら仕事をし、間違った決算書を作成してしまうなど、仕事にも影響が出始めました。
「自分から病院に行ったはいいものの、アルコール依存症だから、やっぱり飲むなって言われるわけです。でもね、やめろと言われてやめられるわけなくて。だから2年くらいは、それでも飲んでたんです。仕事は行けなくなって、辞めました。
そこでとうとう妻が『治療しないなら離婚する』って言い出して、そこからクリニックのアルコール依存症のデイケアに通い始めました。
最初は妻を恨みましたよ……酒を取り上げやがって、って。今はあのとき、正しい判断をしてくれてよかったって、感謝しています。
思い返してみれば、仕事先でも、周りから『病院行ったほうがいいんじゃない?』って言われてましたね。会社に行っても、昼過ぎまで全く使い物にならない。それで、夕方にはもう、酒のことしか考えられなくなって、飲んでましたから。周りからどう思われていたって、やっぱり身近にいる人間、家族とか親友とかが強制的に介入しないと、なかなか本気で治療しなきゃいけないとは思えないものなんですよね」
クリニックのデイケアに毎日通い、アルコール依存症者同士のミーティングに参加したKさん。そこで、自分の意外な側面に気づいたと言います。
「とにかく、楽しかったんです。自分はこんなに話すことが好きだったんだ、っていうくらい、しゃべるのが止まらないんです。同じ依存症者と話してみると、不思議と気取らなくていいような、素直になれる感じがあって。それで、『もう飲まなくていいんだ』って、ホッとした……。
酒飲みって、飲むのが楽しいんだろう、って思われているでしょうね。でも、僕た
ちアルコール依存症者って、もはや強迫的に『飲まなきゃいけない』と思って飲んでる。飲まないとつらすぎるし、でもこのまま飲み続けてたら死んじゃうって、そのジレンマでもがき苦しんで、それだから余計に飲まずにいられない。
考えてみたら、僕は孤独だったんですよね。誰かに自分の話を聞いてほしいのに、それを誰にも言えない自分がいた。酔っぱらっていれば、一人でパブなんか行って、俺の話聞いて聞いてって言えるから、飲んでるときの自分が本当の自分なんだって思ってました」
学生時代に知り合った妻と28歳で結婚し、親友もいたというKさん。彼の孤独感はどこから生じていたのでしょうか。