2021.5.1
タイBLドラマにハマるまでの軌跡がわかる! バンギャルとテニミュとK-POPと私~竹内佐千子「沼の履歴書」インタビュー
今回は、これまでの連載で詳しく明かされていない、竹内佐千子さんのオタクの軌跡をご紹介します。
推し卒して山河あり、オタクに歴史あり……。82年生まれ、サチコ・タケウチの沼の履歴書、とくとご覧あれ!
(聞き手・構成/担当編集エイチ)
神宮橋で会いましょう ~99年、バンギャルになる~
私の原点はなんといってもバンギャルで。バンギャルになるきっかけは、99年にGLAYを好きになったからです。高校2年生からで、ちょっと遅めな方ですね。
――GLAYは当時、ものすごい人気でしたよね。どちらかというと、ヴィジュアル系というより、J-POPなのかなと思っていました。
アラフォーのバンギャルにとって、GLAYは義務教育なんじゃないですかね。そこから入っていって、その先に進学するかどうかなので……。GLAYやラルク(L’Arc~en~Ciel)を聴いていたけど、バンギャルにはならなかった人が相当数いると思います。
世紀末、バンギャル界はものすごく雑に分けるとPIERROT派とDir en grey派に分かれて、なぜか対立していて仲が悪いと言われていました。実際は、そうですね、ごくごく一部の虜(Dir en greyのファン)がピエラー(PIERROTのファン)を小馬鹿にしていたくらいだと思います(笑)。私はどちらも聴いていて、どちらのライブにも行ってたけど、ピエラーでした。
この頃のバンギャルは土日になると神宮橋にコスプレして集まってたんですけど、どのバンドのファンがどこに集まる、みたいなテリトリー分けがあって。だから自分の仲間が決まってて、はっきりと所属場所がある構造だったんですよね。「うちのチームに入らない?」というのは本当にあった話です。
PIERROTの他にも、この頃はライブハウスにとにかく入り浸っていたので、大きいところだとLaputa、メトロノーム、GUNIW TOOLS、ムック、蜉蝣、メリー、deadmanなどなど……かなりのバンドを追っかけてました。体力も時間もあった10代ならではというか。
後で語りますが、PIERROTとDIR EN GREY(2007年より大文字表記)は後に歴史的融和を迎えて、私もバンギャルとして生まれ直すことになるわけで……長生きはするもんじゃのう、とあの頃の自分には言いたいですね。
高校~浪人時代まではライブハウスに行きまくっていたんですが、大学に入学してからはめっきりおとなしくなりました。簡単に言えば、恋愛が忙しくなったんです。真面目にレズビアンをしていました。彼女ができて、フラれて。また彼女ができて、フラれて。社会人になるのは無理だな……と真剣に思って漫画を投稿しはじめて、デビューしたのも大学生の時なので、プライベートが忙しかったのが大きいと思います。
23歳の時にFTM(生物学上の性別が女性で、性自認は男性の人)の彼氏ができて、その人とのお付き合いを漫画にして、単行本にもなっているのですが、色々あって26歳の時に別れたんですよね。その時期とても体調も悪くて。ここから、仕事&私生活、ダブルでつらい数年間が始まるんですが、新しい出会いがありました。