2019.2.1
レースクイーンの源流となる女性は、明治時代や戦前にすでに存在していた!?
レースクイーンの源になったのは少女歌劇団と歌手たちだった!?
その人物とは、小針侑起さん。近代芸能文化史、浅草オペラ史の研究家で、近著に『大正昭和美人図鑑』(河出書房新社)がある。小針さんからは明確な回答がすぐにきた。
「昭和12年7月の浅草国際劇場のこけら落とし公演で、ほぼ間違いないのではないかと。私がもっている、1964年に松竹で発行された非売本『松竹七十年史』の文中にも、スターたちが本物の自動車6台に分乗して開幕に登場する、と記されていますので」
小針さんは、取材の際、自身が収集した数千枚以上のブロマイドやポストカードの中から、貴重な数枚を持ってきてくれた。
「明治の終わりごろには、その当時の超売れっ子だった芸妓さんがクルマに乗ってポーズをとっている絵葉書も既に存在するんですよ。で、私が持ってまいりました資料は、自動車に乗ったターキーこと、水の江瀧子さん。松竹少女歌劇団きってのトップスターですね。そして、昭和7年にビクターからデビューした歌手の小林千代子さんと、昭和11年に同社へ入社した歌手の能勢妙子さんです。ターキーのほうは、昭和初期ごろに撮影されたものですかね。後者の二人は、昭和12年ごろに撮影したものと思われます」
小林千代子と能勢妙子のポストカードには、はっきりとNISSANのロゴマークが写真左下に入っている。時代性、そして一緒に写っているクルマのフロント部分を見ると、ほぼニッサン70型と見て間違いないだろう。ポストカードの裏には、日産自動車株式會社と日産自動車販賣株式會社の文字があった。販促用のものと思われる。
つまりは当代の美女たちを起用して、一大キャンペーンを張ったわけである。
小針さんいわく当時は様々な企業がイメージガールを立てて、さかんに宣伝活動を行っていたという。事実、小針さんは昭和12年の読売新聞の記事に“日産宣傳ガール”が登場することを突き止めている。ほかにも、昭和7年にはじまった森永製菓「スヰ(イ)ートガール」などがあり、大変興味深い。
「松竹少女歌劇団は、宝塚少女歌劇団の山の手な雰囲気と違って、浅草が拠点でしたから、もっと大衆寄りだったんですね。出演者たちも健康的な肢体の持ち主で色香があった。観客は女性主体でしたが、男性もちらほらいたようです。一方、小林千代子や能勢妙子といった歌手は、小林が大人でモダンな美人、能勢が女学生のごとき可憐さで売っていた。私はレースクイーンは専門外ですが(笑)、こうしてみると(女性の立ち位置などの)構図は今も昔も変わらないのですね」
小針さんの指摘どおりだ。クルマと華麗な女性のコラボレーションは、あこがれの存在として、永らく息づいてきた。
日本のレースクイーン・カルチャーは、約1世紀前に端を発し、いまだブレていない文化だというのは言いすぎだろうか。
(第3回に続く)
バナー写真提供/GALSPARADISE
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