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娘の吹奏楽のために中学受験を決意! 伴走する妻と受験への出費をいちいち渋る夫……。【おおたとしまさ新刊『中受離婚』一部試し読み】

「あなたは黙っててよ! 中学受験もしたことないくせに!」

 通塾日が少ないとはいえ、吹奏楽と塾の両立は困難を極めた。吹奏楽の練習を終えるとすぐに塾が始まる。いちど帰宅するほどの時間はない。仕方ないので、マユミの塾がある日は、茜が会社を早退して、塾のカバンを持って学校まで迎えに行くことにした。
 帰りは自宅最寄りの駅まで迎えに行く。
「今日の授業はどうだった?」
「全然わからなかった。宿題もたくさんあってぜんぶできる気がしない」
 毎週の授業のなかで行われる確認テストは、たしかにぼろぼろだ。
「始めたばかりだからしょうがないよ。やっていくうちに慣れるから。最初のうちは宿題もお母さんといっしょにやってみよう」
 自分もかつては似たような問題を解いていたはずだが、何しろ三〇年近い月日が経っている。解説を読めばかろうじて理解はできるが、うまくは教えられない。
 そして、質・量ともに明らかに無理な宿題が課されていた。いや、世間一般の中学受験生に比べればかわいい質と量なのだろうとは思うのだが、いままでの基礎がごっそり抜けているマユミには厳しかった。
 本来なら基礎からやり直すべきなのだろうが、そんな時間的余裕はない。基礎がないところに積み上げるから、いくらやっても積み上がらない。
 マユミは朝から学校に行き、吹奏楽の練習をして、帰宅して、夕食を食べたら塾の宿題をして、休む暇がない。茜は朝から会社に行き、定時に仕事を終えるとスーパーに寄ってから急いで帰宅して、夕食の準備をする。後片付けもそこそこに、マユミの勉強を見てやらなければならない。
「今日は算数のここまで終わらせようね。そうしないと、明後日の授業までに宿題終わらないでしょ。ママはいま食器洗いと洗濯物を片付けちゃいたいから、自分でやっておいてね」
「うん」

 一時間後にマユミの様子を見に行くと、まだ予定の四分の一も終わっていない。
「えっ、これしかできてないの?」
「……」
「何やってたの?」
「ちゃんとやってた……」
「それでこれしかできてないの? もうさっきから一時間経ってるよ。このペースでやってたら、明日の朝になっちゃうよ。ぜんぶ終わるまで寝かさないからね!」
 マユミの目には涙があふれそうになっている。なまじ吹奏楽で鍛えた精神力がある。言われた課題はやり通さなければいけないと、強く刷り込まれている。無理だとわかっている大量の課題を前にしても、できないとは言えない。
 マユミとは六つ違いの弟のマサキを寝かしつけて、自分も寝落ちしそうになるのを必死に耐えて、カリカリしながらマユミの勉強が終わるのを待っているが、夜一一時を過ぎても終わらない。様子を覗きに行くと、マユミが机に突っ伏していた。
「何してんのー!」
 ハッと我に返ったマユミは、慌てて口元のよだれを拭った。いま自分がどんな状況にいるのかすら理解しておらず、目をぱちくりさせている。
「やる気がないなら中学受験なんてやめなさい! 地元の中学に行けばいいの。その代わり、吹奏楽はできないからね」
 茜の罵声で現実に引き戻される。マユミはひぃひぃと小さな声を上げて、肩を震わせて泣き出した。
 見かねた鉄也がとうとう口を挟む。
「何時だと思ってるんだ。宿題なんていいからもう寝なさい。明日も早いんだろ。ママもこんな夜中に大声を出して、いい加減にしなさい」
「あなたは黙っててよ! 中学受験もしたことないくせに!」
 と言いつつ、これ以上マユミを傷つけても何もいいことはないとわかっているのに怒りが止まらなくなっていた茜は、正直にいうと鉄也に救われた気分だった。
「ああ、どいつもこいつもムカつく! もういいから早く寝なさい!」
 わざと見放したような口調でマユミに命じる。
 マユミが塾に通い始めてから、茜の生活にもまったく余裕がなくなっている。夫婦関係に溝ができていることはうすうす感じていたが、いまはそんなことに構っていられない。
 しかしその後も、マユミの成績は低空飛行を続けた。新しい単元を理解できないまま、塾の授業は次の単元に進んでいってしまう。負債ばかりがどんどん大きくなっていく。
 マユミがつらいのもわかってはいるが、茜の焦りも大きい。せっかくここまでやっているのに、O林に合格できなかったらすべてが水の泡になる。そんなことになったら、鉄也にも何を言われるかわからない。なんとかマユミの成績を上げてやりたい。そのためには心を鬼にして厳しくするしかない。
「やってもできないなら、塾に通っても無駄」
 号泣するマユミにたたみかける。
「泣くほど悔しかったら、じゃあ、なんでやらないんだ! そんなに嫌なら受験やめろ!」
 親子バトルはほぼ毎週くりかえされた。
 中学受験はそんなものだと茜は思っている。中学生になっても吹奏楽を続けたいという思いだけが、傷だらけのマユミの心を支えている。

 

以降、夫婦とマユミはどんな受験を迎えるのか? 続きはぜひ書籍でお楽しみください。
※本記事は、『中受離婚 夫婦を襲う中学受験クライシス』(集英社)を編集部が一部抜粋・再構成したものです。また本書は多数の取材を元にしたセミ・フィクションで、取材対象者のプライバシーを配慮し、登場人物や学校名などはすべて、近しい別の学校や塾などに変更したうえで仮名表記としています。受験の年次なども一部変更しています。

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【第一章試し読み】 午前2時のコンビニで過去問コピーを取る夫、そのとき専業主婦の妻は……。
【第二章試し読み】 娘の部活のために中学受験を決意! 伴走する妻と受験への出費をいちいち渋る夫……。
【第三章試し読み】 東大はじめ高学歴出身家系である母が、父を透明人間のように扱うようになって……。

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おおたとしまさ

おおたとしまさ/教育ジャーナリスト。
1973年、東京都生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退、上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育媒体の企画・編集に関わる。教育現場を丹念に取材し斬新な切り口で考察する筆致に定評があり、執筆活動の傍ら、講演・メディア出演などにも幅広く活躍。中学・高校の英語の教員免許、小学校英語指導者資格をもち、私立小学校の英語の非常勤講師の経験もある。著書は80冊以上。

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