2024.6.27
古典ギリシャ語を学ぶのはどんな人たち?「難解な言語」との向き合い方
現代の日本で、一体どんな人たちが、どのように古典ギリシャ語を学んでいるのでしょうか?
『しっかり学ぶ初級古典ギリシャ語』の著者であり、獨協大学で教鞭をとる堀川宏さんに、そんな古典ギリシャ語についてのエッセイをご寄稿いただきました。
“It’s Greek to me.” と言われる言語
はじめまして、堀川宏といいます。ふだんは埼玉県草加市にある獨協大学で、古典ギリシャ語や古代ギリシャの文化について教えながら、それにまつわる研究をしています。たとえばホメロスの叙事詩やギリシャ悲劇といった文学作品を、当時の言葉で読んで理解するというような研究です。今日は「よみタイ」の読者の皆さんに向けて、古典ギリシャ語についての話をしてみようと思っています。
まずは簡単に古典ギリシャ語の紹介をさせてください。これはだいたい紀元前5世紀くらいに、古代ギリシャのアッティカ地方というところ(現在のアテネを中心とする地域)で使われていた言語です。パルテノン神殿を見上げる広場で、人々が賑やかに話していた言葉というとイメージしやすいでしょうか。いまから2500年ほど昔のことです。ソクラテスやプラトンといった哲学者、あるいはペリクレスなどの政治家の名前を思い浮かべる方もいるかもしれません。アイスキュロスなど「三大悲劇詩人」も、この言語を使って作品を作りました。
このように書くと、何だか難しそうだな……と感じるでしょうか。たしかにそうかもしれません。古典ギリシャ語というのは難解な言語の代名詞的な存在で、たとえば英語でIt’s Greek to me. と言えば「ちんぷんかんぷん」の意味を表します。でも、私のまわりを見渡してみると、大学生もそうでない人たちも、この難解な言語をずいぶん楽しそうに学んでいる姿が目につくのです。ちょっと意外ではないですか? これからそのような人々のことを紹介してみることにします。
ギリシャ語を学ぶ風景
まずは大学の教室を覗いてみましょう。獨協大学ではドイツ語や英語、フランス語、スペイン語、中国語、韓国語などとともに、古典ギリシャ語の授業も開講されています。毎年4月になると初級のクラスに学生たちが集まるのですが、かならずと言っていいほど45人の定員が満員になります。今年の春はとくに履修希望者が多かったようで、60人を越える登録があったと聞いています(そこから抽選で選ばれた45人が履修しています――抽選に漏れてしまった学生さんたち、ごめんなさい。よかったら来年ご一緒しましょう)。
じっさいに授業が始まってみると、はじめは皆さん苦労します。何しろこれまで馴染んできた英語などとは文字からして違いますから、その読み書きに慣れるところからスタートしなくてはいけません。第1回の授業ではα、β、γ、δ … と黒板に書き出していって、それをみんなで書き写しながら、この個性的な文字たちを学びます。第2回では発音の確認、そこから少しずつ文のしくみに進んでいくのですが、慣れないうちは単語を読むのも覚束ないので、なかなか勉強が進みません。発音できない単語や例文を覚えるのは、とっても難しいことだろうと思います。
はじめはこのように大変なのですが、文字の読み方を面倒がらずに確認して、失敗と成功を繰り返すことで、学期の半ばに差しかかる頃には少しずつスムーズになってきます。たとえばτέχνηをテクネーと読み、これが英語のtechnicに繋がっているのを発見したり、ソクラテスの綴りがΣωκράτηςで、これはソークラテースと発音することを知ったりするのは楽しいようで、学生たちは毎回あれこれの感想を(確認テストの自由記述欄に)書いてくれます——これを読むのは教員としてもじつに楽しいものです。大変な勉強のなかに楽しさを見つけるのは、学習を継続するためのよい方法だと思います。
別の教室に移ってみましょう。獨協大学では初級文法をひと通り学んだ後、古典ギリシャ語の原典講読に挑戦するためのクラスもあります。ここでは比較的読みやすいものからはじめますが、古代ギリシャの著作家たちは学習の初心者のために文章を書いたわけではないので、やっぱりなかなか大変です。なるべく丁寧に単語や文法を確認しながら、今年度は8名の学生と一緒に、アイソーポス(皆さんご存知のイソップです)の寓話を少しずつ読んでいるところ。教訓めいた「落ち」のある話の展開が面白いですし、内容が分かった話を声に出して読んでみるのにも、なんとも言えない喜びがあります——それは古代ギリシャに響いていたのと同じ音かもしれませんから。この喜びは『イリアス』といった叙事詩やギリシャ悲劇の作品、あるいはプラトンの対話篇などを読んでみると、より一層大きくなります。
ちなみにもうひとつの西洋古典語、ラテン語の教室も盛況で、初級はやはり満員御礼。講読のクラスでは4名の学生が、キケローの弁論作品(ラテン語散文の精華というべき作品!)に挑戦しています。こちらは別の先生に担当していただいているので、ときどき学生たちに様子を尋ねてみると、お互いに刺激を与えあい/受けあいながら、単語の配列の妙を実感するなど、翻訳で読むのでは味わえないような貴重な体験をしているようです。