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麻雀牌シェア日本一! 紀州の麻雀王に聞く、和歌山県御坊市が「麻雀の聖地」である理由

「紀州のアクリル王に直撃取材! コロナ対策で需要マシマシの『アクリル』その意外な歴史と業界事情とは?」特集、みなさんお読みいただけましたでしょうか。
この取材終了後、インタビューに応じてくださった株式会社カナセの金谷清道社長の口から、こんな一言が。

「僕のいとこも和歌山の会社の社長で、麻雀牌の国内シェアトップなんですよ」

調べてみると、その会社とは、和歌山県御坊市に本社を置く、大洋化学株式会社。従業員約160名の樹脂メーカーです。地方中小企業で、なぜ麻雀牌が作られ、しかも国内シェア1位に上り詰めたのか……。
これは気になる! ということで、金谷社長にご紹介いただき、大洋化学の上西一永うえにしかずなが社長にお話をうかがいました。

模造真珠の経験を生かして、世界初のプラスチック製麻雀牌を開発

大洋化学株式会社代表取締役の上西一永氏。
大洋化学株式会社代表取締役の上西一永氏。

――株式会社カナセの金谷清道社長とはいとこ同士だとうかがいました。カナセとのご関係、「大洋化学」設立の経緯を教えてください。

戦後、私の父が、カナセの次女だった母と結婚したことで、カナセで数年間働き、1954年、生まれ故郷に近い御坊市に戻って設立したのが大洋化学です。
カナセでは、ユリア樹脂を使ったボタンが作られていました。ユリア樹脂というのは、プラスチックの原点のような樹脂で、加圧・加熱すると固まる性質があり、熱に強い特徴があります。また、磨くときれいになるので、ボタンに加工利用されていました。
父も独立当初はボタンを作っていたのですが、親戚と同業はあまりよろしくないだろうということで、ユリア樹脂の知識と研磨技術を生かして別の製品を作ろうと考えたようです。
それで作り出したのが、模造真珠です。バリ(加工の際に出る出っ張り)を取って磨く技術を応用して作った模造真珠が世界的にヒットし、アメリカなど海外にもたくさん輸出されました。これで会社の資本も倍増して、軌道に乗ったと聞いています。

――麻雀製品の製造が始まった時期やきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

模造真珠の製造が始まったのが1958年で、ヒットしたのが60年頃ですが、数年するとブームも落ち着いてきて、次に父が目をつけたのが麻雀牌でした。
当時の麻雀牌は象牙と竹で作られていて、大量生産が難しく、高額で取引されていました。
模造真珠の原料であるユリア樹脂は比重が重く、また自在に着色できるため、工芸品の原料としても用いられます。父は、プラスチックでありながら工芸品の風合いを出せるユリア樹脂を用いた麻雀牌の開発に成功し、おもちゃ問屋でも扱われるようになりました。

プラスチック製麻雀牌誕生の背景には、樹脂ボタンや模造真珠製造の歴史があった。
プラスチック製麻雀牌誕生の背景には、樹脂ボタンや模造真珠製造の歴史があった。

――世界で初めてプラスチック製の麻雀牌を作ったのが、大洋化学さんということですか?

そうです。プラスチック製にすることで大量生産ができるようになって、注文が殺到しました。象牙や竹はとても傷つきやすいのですが、ユリア樹脂は丈夫で長持ちするため、一気に普及していったのです。
当時の得意先であった任天堂三代目の山内溥さんとは、家族ぐるみの付き合いがありました。
私の父は、新聞社が募集する奨学金試験に合格して中国に留学したりするほど頭が良く、商才もあったようです。

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