2024.1.19
「進研ゼミの漫画」と「不倫体験談」に共通する物語のパターン? なぜ人間は類型的なストーリーに魅かれてしまうのか
進研ゼミのマンガは「中世縁起譚の再来」
もうひとつ、思い出話をします。実は大学院に入る前の勤め先でも、わたしはどこか似たような仕事をしていました。たぶん読者の方も受け取ったことのある、「進研ゼミ」のダイレクトメールを作成していたのです。
4年制大学を出て「進研ゼミ」を運営しているベネッセ・コーポレーション(入社時は福武書店)に入社したわたしは、3年ほど全国の小学生に向けて発送されるDM作成部門にいました。ゼミDMで大切なのは封入された体験マンガです。小6生向けなら、中学進学向けに不安を感じている小学生が、友だちの紹介などで進研ゼミに出会い、見事テストで100点を取って自信満々、部活でも大活躍するといったサクセスストーリーです。イラストはプロに頼んでいましたが、ストーリーは社員が内製していました。これもまた完全にパターン化された紋切り型の世界だったのです。ポルノ雑誌のエロ記事と学習教材の宣伝マンガ、扱う内容は180度異なりますが、どちらも定型的なストーリーを通して読者のシンプルな幻想を刺激するという点ではよく似ています。
今年の9月、X(旧ツイッター)のあるポストが目にとまりました。発言者は臨床心理士の東畑開人さん。
実は宗教的なテキストだった、というのは色々ある気がする。たとえば、昔よく届いていた進研ゼミのマンガとかも、苦悩する青年が進研ゼミに出会って、勉強も運動も恋愛もうまくいって救われるという物語で、宗教団体のパンフレットに描かれる体験談と全く同じ救済の話型だ。学校的宗教の救済論。
東畑さんは現役の心理カウンセラーでありながら、医療人類学の知見をもとに、伝統的なシャーマンや占い師などのフィールドワークをもとに近代精神医学との連続性を考察した著作があります。 このポストにもジャンルにとらわれず共通のパターンを見出していく東畑さんの視線があらわれています。
わたしはすっかり興奮してしまい、自分がゼミDMを作っていたことなどを書いてリポストしました(それが「よみタイ」の編集者の目にとまった結果、このエッセイを書いているわけです)。日本には縁起譚と呼ばれる、苦しい境遇にあって遍歴する主人公が神仏の力に触れることで再生し、最後は長者や土地の支配者になる物語がありますが、自分が作っていた進研ゼミのマンガが中世縁起譚の再来であることに感動したのです。
もっとも進研ゼミが宗教的だということではありません。むしろ、シンプルで普遍的な物語の型がいくつかあって、時代の違いを越え、宗教とビジネスといった領域の違いも越えて、あちこちで顔を出すと考えた方がいいでしょう。現世からの救済であれ、テストの点数アップであれ、人が切実に何かを願うとき、そこに似たような物語が姿を現す、そのことが興味深いのです。人はほとんど無意識に定型的な物語を語っている、語らされている。人間は物語を生きる動物だからです。