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オリックスと合併し「近鉄バファローズ」が消滅したのは2004年。今からもう15年前のこと。“ホリエモンも登場した合併問題”“選手会主導の初のストライキ”など、日本中を巻き込んだ球界再編問題を覚えている方も少なくないだろう。 そんな、消滅した球団「近鉄バファローズ」の真実について今一度迫ったのが『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(元永知宏/集英社)だ。この本で取材した多くの近鉄在籍選手や関係者の中から、一部、書籍からは内容を加筆修正した3人のストーリーを紹介する。 一人目は、選手・監督としてリーグ制覇を果たした、“最後の監督”梨田昌孝氏の証言から――

選手&監督として近鉄バファローズで優勝した唯一の男! 梨田昌孝の「近鉄魂」とは!?

梨田氏の取材には、この本のナビゲーター役でもある“最後の選手会長”礒部公一氏も同行した。
梨田氏の取材には、この本のナビゲーター役でもある“最後の選手会長”礒部公一氏も同行した。

西本幸雄監督への反発から生まれた“こんにゃく打法”

近鉄バファローズが初優勝した1979年はキャッチャー、最後の優勝を飾った2001年は監督だった梨田だが、高校時代の意中の球団は広島東洋カープだった。

「僕は島根県浜田市の出身だから、広島は家から近い球団。熱心に誘ってくれていたんだけど、広島はドラフト1位で同じキャッチャーの道原裕幸さんを指名したんだよ。あれには、本当にがっかりした。1979年に日本シリーズで対戦したとき、広島のオーナーだった松田耕平さんに『梨田くんを獲っときゃよかった。失敗したよ』と言われてうれしかったね。でも、広島に入っていたら、どうなったかはわからない」

1971年ドラフト会議で近鉄が1位で指名したのは新日鐵広畑の佐々木恭介。2位が梨田、4位が三田学園(兵庫)の羽田耕一だった。

「どういうチームかはわからなかったけど、近鉄という親会社は私鉄の中で一番路線が長いということを聞いて、ものすごくしっかりした会社に入れるんだなと思いました」

プロ1年目の1972年に一軍で9試合に出場、1973年には60試合に出場したものの、目立った活躍はできなかった。

プロ3年目に阪急ブレーブスの監督だった西本幸雄が近鉄の監督に就任。西本に鍛えられ、頭角を現す。1974年に115試合に出場したが、翌年以降は、ライバルの有田修三に出場機会を奪われた。

社会人野球で経験を積んだ有田は梨田の2歳上。強気なリードとパンチ力のある打撃が売りだった。エースの鈴木啓示のときは決まって有田がマスクをかぶった。

「僕はケガが多かったせいもあって、有田さんが試合に出ることが多かった。そのころ、『キャッチャーはふたりもいらんやろから、どこかほかのチームに行ったろうか』と考えていました。西本さんに嫌われたらトレードに出してもらえるかなと思って、黙ってバッティングフォームを変えたんです」

梨田の代名詞になる“こんにゃく打法”は西本への反抗、当てつけから生まれた。打撃改造をきっかけに飛躍すると本人は思っていなかったが、バットを体の前に立てて構え、体全体をくねらせながらタイミングを取ることで打率が上がり、打球も遠くに飛ぶようになった。

「僕にはパワーも瞬発力もあったけど、ボールをとらえる瞬間に力が抜ける。ヒッチする癖(バットを持つ手が下がる)もあったから、グリップを低いところに置いて打ちはじめようと、逆転の発想から生まれたバッティングフォームです。不思議なことに、うまくタイミングが取れて、打てるようになりました」

恩師である西本は大正生まれの頑固者。いまほど、選手と監督が密にコミュニケーションを取ることなどなかった時代、梨田は西本の反応を恐れた。

「ところが、西本さんに反抗してフォームを変えたのに、逆に『理に適っとる』と褒められました。『自分でよう考えた』と。こっちは、『もう嫌われてもええ』くらいの気持ちだったのに。普段は、選手から話しかけられるような雰囲気じゃないから、ほとんど言葉を交わしてなかったんです。西本さんが教えるバッティングの型は独特で、僕にはできなかった。言われた通りにやると、ファールになる。僕なりの個性を出そうと思ってやったのがあの打ち方でした。西本さんは何に言わず、見守ってくれました」

“こんにゃく打法”を会得した梨田は、近鉄が初優勝した1979年に打率2割7分2厘、19本塁打、57打点という成績を残した。強肩強打のキャッチャーに成長したのだ。

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新刊紹介

元永知宏

もとなが・ともひろ●1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。『期待はずれのドラフト1位――逆境からのそれぞれのリベンジ』『敗北を力に! 甲子園の敗者たち』『レギュラーになれなかったきみへ』(いずれも岩波書店)、『殴られて野球はうまくなる!?』(講談社)、『敗者復活 地獄をみたドラフト1位、第二の人生』(河出書房新社)、『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『野球を裏切らない――負けないエース 斉藤和巳』(インプレス)などの著書がある

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