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第3回 友人からのマウント。挑発に乗らず、どう切り抜ける?

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マウンティングに反撃を試みるも……

山下に、「理系院生=多忙で社会的価値が大きい」「文系=休暇がきちんと取れるほど比較的楽」という対比構造を描かれ、不快なのは文系院生で山下の同期でもある岡本である。山下の価値基準で低く位置付けられたことに対抗し、(岡本19)では「文系も中国で3ヶ月カンヅメ」、すなわち長期間、中国へデータ収集に行かざるを得ない、と文系の研究の大変さを伝えて面目を取り戻そうとする。

しかしそれに対し山下は、「それはよその大学のやつもいってましたがんばれ」(山下20)と、岡本の状況を矮小化する。もともとは文系が「まともな生活」かどうかという問題だったはずなのだが、「よその大学のやつ」も同じような状況であると主張することにより、岡本個人の置かれた状況の「大変さ」を否定するのである。

表の意味と裏の意味――二重のストラテジー

「まだ東都大の研究室をクビにならず生きているOBです」(山下9)と、「理系院生がひく社畜っぷり。現役生へ、文系は比較的まともな生活を送れるはずだよ()」(山下18)、この2つのマウンティングに共通しているのは、文そのものが持つ表面的な意味(表意)と、この文脈において聞き手が推察しうる裏の意味(推意)が異なり、相反するメッセージが二重に伝達されているということだ。

「クビにならずに」は「自分がクビになる可能性がある」ことを前提とした自分に対するマイナスの評価だし、「社畜」だって本来否定的な意味で用いられる表現だ。ことば通りに受け取るならば、これらは「自分を高く位置付ける行為」とは逆の、「自分を低く位置付ける行為」である。

しかし、わざわざ自分の大学名を挙げたり、院生である自分が多忙であることを前提とした物言いに、受け手はことば通りではない逆の意味、すなわち「自分は、メンバーが除籍になってしまうほど優秀な人間が集まる研究室に属している=そこで研究している自分は優秀だ」や「自分は私生活を犠牲にせねばならぬほど社会に必要とされる存在だが、文系はそうではない=自分の方が重要な人間だ」といった山下の、「岡本を貶めてでも自分を高く位置付けようとする意図」を、私たちは読み取ってしまうのである。

マウンティングのいやらしさ

このようなマウンティングのやり方に、なぜ多くの人は「いやらしさ」を感じるのだろうか。
コミュニケーションにおいて、「相手の意図」は大きな問題になる。「うっかり言ってしまった」場合と「傷つけるためにそのことばを選択した」場合とでは、後者の方が「罪は重い」とみなされるからだ。故意に人を傷つけることは非難の対象になり、悪意の責任を問われることになるだろう。

マウンティングで用いられる二重のストラテジーとは、表意と推意とのズレを利用して、この責任から逃れようとするものである。つまり、ことばの上では相手をほめたり自分を低く評価したりして「良い人」を演じながら、他人を貶めようとする「悪意」のほうははっきりとことばにはせず、あくまで受け手の推測に委ねるストラテジーなのである。こうすることにより、仮に相手からその「悪意」を非難された場合、「そんなつもりはなかった」とその意図を否定してそのとがを免れることができる。

この種のマウンティングの「いやらしさ」は、単純に上下の位置付けをめぐる「いやらしさ」にとどまらず、表意と推意の伝えるメッセージの二重性を利用して、他人を貶めたときにその人が当然負うべきことばの責任を引き受けずに他人を貶めようとする「ずるさ」にある、ということができるだろう。

マウンティングへの対処法

誰かから「マウントを取られた」と感じて不快な経験をしたことのある人も多いだろう。

しかし、その相手は本当にあなたに「悪意」をもっていたのだろうか? もしかしたらうれしいことがあって、純粋にあなたに聞いてもらいたかっただけかもしれない。二重のストラテジーのように思えても、あからさまな自慢にならないよう謙遜しようとしただけかもしれない。

最初にも述べたように、「マウンティング」というラベリングはあくまで、相手の意図に対する自分の推測である。どれだけ親しかろうと、他人の「真意」を正確に把握できていると考えるのはむしろ、私にはおこがましいように思える。

では、私たちはマウンティングにどう対処していけばよいのだろうか。

自分に関するポジティブな情報を伝えたい場合には、下手に謙遜するよりも「こんなことがあってうれしかった(楽しかった)」と、自分の素直な気持ちまで述べるとよい。こうして純粋に自分ごとであることを示せば、それを悪意として解釈する余地を相手に残さない。

反対に、相手のことばをマウンティングだと捉えてしまいそうになったときには、ちょっとしゃくだが、さらに相手を褒めてあげるのがよい。

第1回でも書いたように、コミュニケーションでは基本的に「バランス」が取られる。もし相手が意図的にマウンティングによって自分をあなたより高い位置に置こうとしても、あなたからさらに褒められて自分の位置がより高く位置付けられてしまうと、一般的には居心地の悪さを感じて自浄的に自己をダウングレードさせたり、あなたを褒め返したりしてバランスを保とうとする。反対に、相手を否定したり自分の位置を高めるような戦略をとれば、さらなる攻撃に遭う可能性がある。今回のLINEのやりとりでも、文系の岡本が言い返すと(つまり自分の位置を相対的に上げようとすると)、理系の山下はそれを自分の主張への反撃と捉えてさらなる攻撃を行っている(山下20)。

わかっていてもその場の感情をなかなか抑えられないのが人間だが、コミュニケーションをメタ的視点で捉えることの利点は大きい。

相手を認めてその人の幸せを喜んだ方が、結果的にマウンティングに遭う機会は減っていくだろう。マウンティングを意図的にする側も、優劣・上下関係をめぐる抗争に相手が乗ってこなければ、相手を制圧してやろうというマウンティング意欲も減退していくかもしれない。

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マウンティングには時差がある(漫画/田房永子)

次回は8月26日(火)公開予定です。

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大塚生子

おおつか・せいこ
大阪工業大学工学部准教授。専門は社会言語学、語用論。実際に交わされたコミュニケーションをもとに、ことばがどのように人間関係を築いていくかを分析。主な論文は、「ママ友の対立場面におけるイン/ポライトネス分析―感情と品行のフェイスワーク」。編著に、『イン/ポライトネス研究の新たな地平: 批判的社会言語学の広がり』(三元社)、『イン/ポライトネス―からまる善意と悪意』(ひつじ書房)など。

田房永子

たぶさ・えいこ
漫画家。2000年にデビューし、第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。若い頃から母親の過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA)が反響を呼ぶ。そのほか、『しんどい母から逃げる!!』(小学館)、『大黒柱妻の日常』(MdN)、『人間関係のモヤモヤは3日で片付く』(竹書房)、『女40代はおそろしい』(幻冬舎)など話題作多数。

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