2020.7.14
なぜ友人の家には1リットル入りの醤油が2本あるのか
「醤油を切らしちゃって、買わなきゃなって思ってたんだけど、仕事帰りにスーパーに寄ってもいつも醤油を買い忘れてしまうのね。野菜とかパンとか買ってるうちについつい忘れちゃって」
ちなみにその友人は大阪市内で一人暮らしをしている。外食ばかりで過ごす時期もあったが、最近になって自炊が楽しくなってきたという。
目につくあらゆるところにメモしても忘れるのはなぜ
「帰ってきて料理をしようと思っても醤油が無いから、塩でなんとかなるメニューに変えたりして。そのたびに今度こそ絶対醤油を買って帰ろうと思うんだけど、仕事した帰りだからどうしても忘れる。しかも、醤油が無いこと自体も忘れてるから、醤油がある前提で卵かけごはんを用意しちゃったりして、そこでようやく醤油が無いことに気づくのね。こんな日々はいい加減にもう終わりにしなければ!と思って、目につくあらゆるところに『醤油買う!』ってメモしたの」
部屋にあるホワイトボードに「醤油買う!」とデカデカと書き、ToDoリストを管理するアプリにも同じように入力。スマホの壁紙も「醤油買う!」という文字列が並ぶだけのものに設定したという。
「それでようやくその日の帰りに醤油を買えたんだけど、家に帰って冷蔵庫を開けて中をふと見たら、なんと醤油があったの……。醤油は台所の下の戸棚にしまってるってずっと思い込んでたんだけど、何かの拍子に冷蔵庫にしまってたみたいで、それをそのまま忘れていたことに気づいた。だから、醤油が無い、買わなきゃ!と思ってた時、実はすでに醤油はあったんだよね」
友人の話はこれで終わりである。
冷蔵庫にすでに入っていたもの、新しく買ったもの、どちらも1リットル入りの醤油で、つまり友人の家には今、醤油がかつてないほど潤沢にあるということになる。
この話を聞いた時、私は大笑いをしたわけではない。
かといって「ふーん」と、気のない相づちを返したわけでもなかった。
激しく感情を揺さぶられるわけではないが、「むう……」とうならされるような、不思議な気持ちになったのだ。
「ここに生活がある」という生々しい手ごたえのようなものを確かに感じながらも、その手ごたえはなんとも頼りないものに思える。すぐに忘れてしまいそうな話なのに、妙に胸に残る。