2020.8.18
大銀杏姿で復活の照ノ富士に、勇気と我慢の大切さを学ぶ〜照ノ富士(力士)
照ノ富士は「大関から十両に陥落した4名」のうちの一人だ。しかも照ノ富士の場合、さらに幕下に陥落し、昨年の春場所の段階で序二段となっていた。大関経験者が序二段まで陥落することも史上初ならば、そこから再入幕を果たして優勝するというのも初めてのことである。
モンゴル出身の照ノ富士は、2011年の五月技量審査場所で初土俵を踏んだ後は順調に番付を上げ、2015年夏場所、関脇での幕内優勝を遂げた。この優勝により、新入幕から8場所というスピード出世で大関に昇進したのである。大関昇進の伝達式で照ノ富士自身が「さらに上を目指して精進いたします」と口上を述べた通り、近い将来、横綱・照ノ富士が実現するだろうと、この時点では多くの人が考えていた。
しかしその後、照ノ富士は両膝の怪我や糖尿病、腎臓結石などの病にもみまわれ、5回のカド番(負け越せば大関から陥落する状態)を経て、2017年秋場所で大関から陥落した。さらに幕下に陥落することが決定した2018年6月25日、まさにその当日、照ノ富士は東京都内の病院に入院し両膝の手術を受けていた。ここから4場所連続で休場した結果、序二段という番付になったわけである。
大関から幕下に陥落した後に相撲を続ける力士がこれまでいなかった理由の一つには、両者の立場や待遇が大きく違うことがあるだろう。
まず幕下は月給が出ない。付け人を持つこともできず、荷物を自分で運ばなければならない。また関取の象徴ともいえる大銀杏を結うことも許されない。一度大関を経験した力士からすれば、なかなかに厳しい状況でもある。
照ノ富士も、これまで幾度も引退を考えたというが、師匠の伊勢ヶ濱親方が引退を慰留したと伝えられている。(「日刊スポーツ」2020年8月2日)。怪我さえ治れば、また以前のように力強い相撲を取ることができるという親方の考えだったのだろう。
つややかに結い上げられた大銀杏に漲る勇気と我慢
西序二段四十八枚目として再出発した昨年の春場所。丁髷姿で土俵に上がった照ノ富士の両膝には分厚いサポーターが巻かれていた。こうしたサポーター姿については賛否両論あるが、照ノ富士のサポーターは、怪我と闘ってこれから上昇していこうとする証のようにも見えた。この場所で7戦全勝した照ノ富士は順調に番付を上げ、今年の1月には十両復帰、七月場所で幕内復帰を果たしたのである。
いま改めて照ノ富士の姿を見てみると、やはり大銀杏がしっくりくる。
照ノ富士は七月場所の優勝後のインタビューで、コロナ禍に見舞われた中での場所を振り返って「こういう時期なので、みんなに勇気と我慢を伝えようと思って一生懸命やってきました」と語っていた(日本相撲協会ホームページ)。その思いは見ている側に十分に伝わったのではないだろうか。
そして、贅沢を言うならば、今後、大関以上にしか許されていない紫色の馬簾(裾についている房の部分)の化粧まわしを着けた照ノ富士の姿を、もう一度見てみたいと思うのだ。