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オギリマサホ「スポーツ界イケてる顔面図鑑」

1975年度生まれの星、谷亮子の圧倒的自己肯定感〜谷(田村)亮子(柔道)

高校時代、既に〝田村亮子″は「小さいのに強い」ということでマスコミを賑わせており、前髪をちょこんと結ぶ「ちょんまげヘア」とともにお茶の間に浸透し、人気者だった。だがしかし、その髪型は、浦沢直樹のマンガ『YAWARA!』の主人公、猪熊柔のトレードマークではなかったか。
当時から田村が何のためらいもなく「ヤワラちゃん」と呼ばれていることに、私の内なる違和感は積み重なっていった。

私の違和感が頂点に達したのが、田村が「最高でも金、最低でも金」と臨んだシドニー五輪で念願の金メダルを獲得した2000年から、結婚を経て谷亮子となり「田村で金、谷でも金」という言葉を現実のものとした04年のアテネ五輪までだっただろうか。
確かに高い目標を掲げて実現する実力や日々の努力、自らの状況をキャッチフレーズ化する言語能力の高さは称賛に値する。しかしこの時期の田村亮子、そして谷亮子の言動が報じられるたび、やり場のない思いばかりが膨らんでいったのである。

仲良し夫婦は暮らす日々が長いほど顔が似てくるとか。そういえば野村克也・サッチー夫妻も……
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なぜ彼女はテレビ出演する時に露出の高い服を着るのか。特にプロ野球の谷佳知(当時オリックス)選手との交際が発覚してから婚約、結婚に至るまでの時期にその傾向は一層強まっていった。
へそ出しユニフォームや黒いノースリーブのロングドレスを着て始球式に臨む亮子。他の柔道選手が始球式に登場する時は、大抵が柔道着である。
故・ナンシー関の「みんなのヤワラちゃんはじゅうどうぎがいちばんにあうよ。頼むよ。しまっとけ」(「週刊文春」99年7月1日号)という忠告もむなしく、遂には週刊誌でセクシー写真を披露するまでとなった(「週刊現代」03年5月3日号)。

谷との結婚披露宴はテレビ中継され、本人たちが出会いから結婚に至るまでを再現した映像「佳知♡亮子 愛の軌跡」も全国にオンエア。直径2メートルはあろうかという真っ青な地球儀型のウェディングケーキに満面の笑みで船を浮かべる亮子を見て、私は自らの違和感の正体を知った。

それは「同い年なのに、こんなに自己肯定感が高い人がいるのか」ということであった。

1975年生まれたちが抱えるモヤモヤ

谷亮子や私を含めた1975年度生まれの人間は、団塊ジュニアの尻尾の方で常に競争にさらされ、更には就職氷河期真っただ中を過ごした世代なのである。
もちろん個人差はあるが、自己肯定感を持ちづらい状況、世代であった。
しかしそんな中、谷亮子は圧倒的な自己肯定感を持って突き進んでいた。

それはもちろん「柔道が強い」という前提があってのことだろうが、彼女の場合、「女性としての自己肯定感」も圧倒的に強かった。その自己肯定感の発露が、次第にお茶の間の「柔道少女ヤワラちゃん」のイメージと乖離していったような気がする。

その「自己肯定感の発露」は、ナンシー関が予言したように、参議院議員になることで一層強固になったように見えた。しかし現役選手と議員を両立しようとしたことに対する批判、次の選挙に出馬せず議員を辞職したことなどを経て、段々と谷亮子の話題が報じられることは少なくなっていった。
不思議なのは、「自己肯定感の発露」にはもってこいと思われるSNSの類を、谷亮子は一切やっていないということである。それは40代も半ばになって「発露」もだいぶ落ち着いたということなのだろうか。今さら承認欲求など満たす必要はないということなのだろうか。

もしもそうだとするならば、これまで違和感しか覚えなかった彼女の言動に、何となく共感を覚えてしまう。
同世代として。

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オギリマサホ

1976年東京都出身。イラストレーターとしてシュールな人物画を中心に雑誌や書籍などで活躍。中学1年までは巨人ファンだったのが、中2のときに投手王国・広島カープに魅せられ、広島ファンに転向。そのカープ愛が炸裂するイラストエッセイ『斜め下からカープ論』を刊行。野球のみならず、広くスポーツ界を愛している。
Twitter@ogirim

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