2020.1.21
駅伝の双子選手たちの活躍で思い出す、マラソン史上に燦然と輝く双子のランナー〜宗茂・猛(陸上選手)
ところで、昭和生まれの人間が「長距離界の双子」と聞いてまず真っ先に思い浮かべるのは、宗茂・猛兄弟ではないだろうか。
1980年代のマラソンといえば、瀬古利彦と宗兄弟が圧倒的な強さを誇っていた。
当時の小学生たちは「おもちゃ屋に瀬古選手の人形は売っていたけど、宗兄弟の人形は売っていませんでした。なぜでしょう?」「答えは、“宗(そう)は問屋がおろさない”から」というなぞなぞで盛り上がっていた。
そしていつまで経っても、茂と猛の区別がつかなかった。
ところで双子ではない私たちは、双子にある種の幻想を抱いているような気がする。自分ともう一人同じ顔の人がいる。もしかして双子の片割れと入れ替わってしまえば、違う生活を楽しめるのではないか……? 『ふたりのロッテ』や朝ドラ「だんだん」など、双子が入れ替わる物語が後を絶たないのもそのためだろう。
しかし当の双子本人にとってみれば、たまったものではない。双子はそれぞれ別人格なのにも関わらず、常に間違われる。成績やスポーツの結果などもいつも比べられる。顔が似ていても似ていなくても何か言われる。私の身の回りの双子に話を聞くと、だいたいそのような意見が聞かれる。
80年代に出版された宗兄弟の本『振り向いたら負けや』(宗茂、宗猛/講談社/1986年)の中で、茂は「『双子』『双子』って言われると、ものすごく馬鹿にされてるような気がして、二人一緒に街を歩くというのはまずなかったな。でも、練習は一緒にするんね。一緒に走るのは全然抵抗感じんの。並んで歩くのだけは、ものすごく抵抗あった」と語っている。
22~23歳ぐらいになると二人一緒に歩くことにも抵抗感がなくなってきたという宗兄弟だが、やはり事あるごとに双子と指摘されるのは、あまり気分が良いものではなかったのだろう。
一方で、街で会った人の名前が思い出せない茂が猛のフリをしてごまかしたり、高校時代に健康診断で引っかかった茂の代わりに猛が再検査に行って「異常なし」の診断をもらったり、などの双子ならではのエピソードもこの本で暴露されている。私たちが「双子」のストーリーとして思い描くような入れ替わりを、宗兄弟も実践していたのだった。
陸上界で活躍する一卵性双生児たちのたどる道はどこへ
現在、猛は旭化成陸上部の総監督、茂は旭化成陸上部の顧問をする傍ら、気功健康塾を開設している。
「分度器で五度の違いでも、中心から離れるにしたがって開きが大きくなるじゃないか。僕ら、あんな感じやな」(前掲書)と茂が語るように、年を経るに従って双子のたどる道も少しずつ違っていくのだろう。
現在、現役で活躍する双子選手たちが10年後、20年後にどのような道を歩んでいくのか、見守っていきたくなってしまう気持ちはもはや止められない。