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かつて虐待してきた母親は「弱者」になっていた【育ちの良い人だけが知らないこと 最終回】

幼少期の自分と母の立場が逆転したような感覚

先日、両親と東京で食事を共にした。
複雑な母への想いを克服することはできていないが、表向きの家族仲は良好で、それは私の努力の上に成り立っているものだ。
私は家出をしてからもずっと母に好かれたいという幼少期の気持ちがなくならず、誕生日や母の日にプレゼントを贈って母の機嫌を取ることをやめられなかったのだ。

だが久しぶりに再会すると、彼女に好かれたいという気持ちが消えつつあることに気がついた。あんなに恐ろしい存在だった母は小さくなり肌には深い皺が刻まれ、物忘れの激しい老人となっていたのだ。
「言いたいことを思い出せなくて話すことが嫌になってきた」と言う彼女は昔から人間関係を構築するのが上手くはない。普段から会話をする相手も少ないのだろう。
父は鬱病を患ってからもうすぐ15年になり、長い間労働をしてこなかったゆえの認知の歪みが見受けられた。

それらの現実に若干の衝撃を受けながら、彼らに「褒められたくて」「すごいと思われたくて」予約したミシュラン一つ星の中華へ足を運んだ。
何度お皿が運ばれてきても、共通の話題がないから会話は弾まない。
顔色を伺ってばかりの相手には心を許したことがなく、何一つ共有などしてこなかったのだ。
あんなに好かれたかった相手のはずの母親が今や「弱者」だという事実を強く感じたとき、幼少時代の自分と母の立場が逆転したような感覚になった。
か弱い子供だった当時、どんなに酷いことをされても私は母に見捨てられることが一番恐ろしかった。
これから更に弱っていく彼女は、私に見捨てられる不安を持っているのではないだろうか。

私が彼女を見捨てる可能性がゼロだとは言えない。
この発想は家族に愛されて育った人間の元には発生しないのではないだろうか。

これからの人生をどのように家族と向き合おう。
まだ私の心は定まっていないが、「因果応報」を実感する経験を得たと思う。
世界に対して行うことは己の身に返ってくるのだと、心からそう思う。

「母を許すことができました〜!」というめでたいハッピーエンドでこの連載を締めくくりたいという希望もある。でもそれは自分を含む全ての人への嘘となる。
嘘をついた過去は人並みにあるし嘘をついたことのない人間はこの世に存在すると思えないが、もうできる限り嘘をつく人生を送りたくない。

母親からの暴力、浴びせられた暴言の細部の記憶を一つ一つ開き始めている途中、一度だけ衝動的な感情が抑えられず母にLINEを送ろうとした。
「ごめん突然だけど、私を叩いたり否定したり怒鳴ったり人前で私を貶したりしたことに罪悪感って持ってる?どんなに努力しても自尊心が低いままだし暴力という選択肢を知っている以上子供を持つ選択だって怖くて」、そこまで打って画面を閉じた。
私の努力によって紡がれてきた家族との関係を今更掻き乱しても何も生まれないし、老いて頭の弱りつつある母親に体調を崩されるのも耐えられないので、過去を「ただ目の前にあったこと」として処理しようと決断した。

どれだけ育ちが良い人に擬態し続けても、明るく取り繕っても、受けた傷は消えない。
今でも映画やドラマで女性が金切り声を出すだけで頭が真っ白になったり、気が遠くなったりする。

記事が続きます

幸せになるには周りの人を幸せにする必要がある

感謝していることがある。
育ちの良い人に擬態することを選んだ過去の自分への感謝だ。
努力をすることによって素晴らしい人々との出会いがあり、小さなことを一緒に喜べる友人がいて、人生の中に間違いなく宝物だと思えた瞬間があり、それを追体験すればあっという間に満ち足りた心地になる。

階級社会を日々まじまじと見せつけられ自分の力だけではどうしようもない閉塞感に囲まれた東京だが、私は東京で出会った人々を好きになり、彼らとの繋がりに助けられてきた。
結局他者からの承認によってなんとか自分の存在を認めることができている弱い人間だが、もう生まれてきたことを恨んではいないし死を救いのようには思わない。

望んで病気になる人がいないように、好んで育ちが悪くなる者は存在しないだろう。
「育ちの良い人だけが知らないこと」の現実は、決して本人のせいではない。

だがその場所から抜け出す選択をするのであれば「育ちの良さ」を学ぶことをお勧めしたい。
この世界には毒が蔓延していて、それは悲しみや不幸や絶望といった類のものだ。
その毒で溺れてしまえば心や身体の病に侵される確率が上がる。

毒はやがて周りの人たちを感染させてしまう。
だが幸せになるには周りの人を幸せにする必要がある。
だから生まれや育ちを恨むのではなく、背筋をしゃんと伸ばし、穏やかに微笑む。話す必要のないことは話さない。
受け継がれる文化的資本や人脈という育ちの良さの真髄を得ることは難しくとも、今いる場所から一歩外に踏み出して「なりたい自分」の真似をすることから始める。行動することでしか結果はない。
嘘をついたり詐欺行為に当たる犯罪をしなければ、形から入ることで得られる「育ちの良さ」はあるのだ。

私の声が誰かの手助けになればと願っている。

 本連載は今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。

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かとうゆうか

1993年生まれ。マーダーミステリー作家。シナリオを担当したマーダーミステリーに「償いのベストセラー」「無秩序あるいは冒涜的な嵐」「ザ キャリーオン ショウ」などがある。共著に「本当に欲しかったものは、もう Twitter文学アンソロジー」。

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