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ホモソーシャルな恋愛の抜け出し方を、ドラマ『こっちを向いてよ向井くん』に学ぶ【平成しくじり男 第5回】

ホモソーシャルな恋愛に否を突きつける

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向井くんが恋愛するときに陥っていた 意中の女性 × 恋敵の男 という構図は、ものすごく見覚えのあるものだった。平成のしくじり男が主人公の作品において、何度も何度も繰り返されてきた構図だからだ。

冒頭にもあげた、新井英樹の『宮本から君へ』、花沢健吾の『ボーイズ・オン・ザ・ラン』、久保ミツロウの『モテキ』はどれも、意中の女性 × 恋敵の男 という構図の中で、男の恋愛の悲喜劇が描かれた作品だった。

1990年に連載が開始された新井英樹の『宮本から君へ』の主人公は、文具メーカーの営業マンで24歳の宮本浩。宮本はヒロインである中野靖子を遊び人の元カレから引き剝がして付き合うことになるが、取引先の部長の息子で大学ラグビーの花形選手である真淵拓馬に、中野靖子はレイプをされる。その復讐として、宮本は真淵と拳を交え、真淵の睾丸を握り潰し勝利する。

2005年から連載が開始された花沢健吾の『ボーイズ・オン・ザ・ラン』の主人公は、素人童貞で27歳の田西敏行。会社の後輩である植村ちはるに恋をするが、植村ちはるはライバル会社のイケメン営業マンである青山と付き合うことになる。その後、植村ちはるは青山との子を妊娠させられた挙句見放され、そのことを知って激怒した田西は青山に決闘を申し込み拳を交えるが、惨敗する。

2008年から連載が開始された久保ミツロウの『モテキ』の主人公は、29歳の派遣社員で草食系男子の藤本幸世。ある日、知り合いの女性から次々と連絡が入り、いわゆる”モテ期”がはじまる。しかし言い寄ってくるどの女性も幸世くんと他の男の間で板挟みになって心が揺らいでいて、幸世くんはそのことで自信を失くしたり傷ついたりしながら、誰かを好きになるということはどういうことなのかを追い求めてゆく。

時代が下るにつれて、主人公が熱血系から草食系に変わろうが、正規雇用から非正規雇用に変わろうが、男同士の闘いの結果が勝利から敗北に変わろうが、意中の女性 × 恋敵の男 という構図の中で恋愛が進んでゆくという点だけは変わらなかった。どの作品も、まるでライバルの男がいなければ女性との恋愛なんて生じないとでも言いたげだ。

これは、英文学研究者のイヴ・セジウィックが『男同士の絆』という著書のなかで、”ホモソーシャル”と名づけた関係のあり方に特徴的な性質だ。セジウィックはイギリス文学を読み解きながら、二人の男が同じ一人の女性を愛しているとき、その女性のことを気にかける以上に、その女性を介してライバル関係になっている男同士の絆の方が激しく強いことに注目した。

ホモソーシャルな関係性においては、自分と敵対する男に打ち勝ちたいという気持ちと、目の前の女性のことが好きだという気持ちがほとんど同義になっているのだ。だから意中の女性のために男は他の男と戦わざるを得ないし、男同士の争いに振り回される女性は決まって傷つく存在だった。そしてその戦いや傷つきこそが、恋愛に不可欠な「エモい」ものであるかのように感じられるのだ。

『こっち向いてよ向井くん』の第1話が明確に否を突きつけるのは、そんなホモソーシャルな恋愛のあり方に対してだ。そしてこれは僕の思い込みかもしれないが、これまでの平成しくじり男作品に対して、物語の要所要所──それは漫画原作をアレンジする形で、ドラマ版に意図的に設定された要素──において否を突きつけているように思われるのだ。

第1話の内容を思い出してみよう。

向井くんは、コピー機の前で知り合った派遣社員の中谷と好きなバンドの話で盛り上がったが、それは恋愛には結びつかなかった。この設定は、コピー機の前で知り合って一緒にフジロックまで行った派遣社員の女性との関係からモテ期がはじまった『モテキ』に対するアンチテーゼにしか思えない。

向井くんは、中谷のことを守るためにタクシーに向かって全力疾走をしたが、それは独りよがりなものにすぎず、実際は中谷の恋を邪魔をしているだけだった。このシーンは、不器用ながらも女性のために全力疾走をするというところに男の成長を託した『ボーイズ・オン・ザ・ラン』のアンチテーゼにしか思えない。

極めつけは、そんな『こっち向いてよ向井くん』の第1話のタイトルが「守るってなに…?」ということだ。このタイトルは、新井英樹の『宮本から君へ』の主人公・宮本浩の名ゼリフ「この女はと……特別だ ―(中略)― 中野靖子は俺が守る!!」へのアンチテーゼにしか思えない。

登場人物の設定で『モテキ』を、全力疾走の描写で『ボーイズ・オン・ザ・ラン』を、タイトルで『宮本から君へ』に否を突きつけながら、平成のしくじり男が駆け抜けてきたホモソーシャルな恋愛をもう終わりにしようと宣言したのが、『こっち向いてよ向井くん』の第1話だと思うのだ。

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それでは、ホモソーシャルではない恋愛とは一体どのようなものなのだろうか?

それは、女性は男同士の争いに振り回され傷つくだけの客体ではないし、男同士は決して女を取り合う敵同士ではない、というようなものだろう。

女性が男同士の争いに振り回され傷つく存在ではないということは、向井くんが派遣社員の中谷に真っ向から振られることによって描かれている。中谷は、向井くんと河西の2人の男に同時に好かれても、それに振り回されて傷つくことはない。揺らがない確かな意志を持っていて、好きではない男の告白は粛々と断り、好きな男と付き合うだけである。

そして男同士が決して敵ではないということも、物語の終盤に描かれる。

中谷に振られた向井くんは、恋敵であった(と向井くんが勝手に思い込んでいた)後輩の河西に職場で会った際に声をかける。

「河西。お前さ、自分が欲しいもの、自分でわかってるタイプ?」
「いや当たり前じゃないですか そんなの」
「そっか。そうだよな。すごいな、お前。俺も頑張るわ」

そう言いながら、向井くんは河西の肩を叩く。意中の女性 × 恋敵の男 という構図が独りよがりなものであったことを突きつけられた向井くんの目には、もう後輩の河西は敵には映らないのだ。

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派遣社員の女性を巡る4人の男の会話という、ホモソーシャルを戯画化したようなシーンからはじまった『こっち向いてよ向井くん』の第1話は、ホモソーシャルではない関係性を描きながら幕を閉じる。これまでの平成しくじり男の恋愛とは全く異なるルートで、向井くんは恋愛を再始動する。第1話は、そのことを丁寧に宣言するような話だった。

そんな風に読み解いてみると、ドラマのタイトルの意味もわかってくる。『こっち向いてよ向井くん』というタイトルにはおそらく、『ホモソーシャルなほうを向かないでよ向井くん』という意味が込められているのだろう。

(第5回・了)

 次回連載第6回は1/15(木)公開予定です。

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新刊紹介

山下素童

1992年生まれ。現在は無職。著書に『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』『彼女が僕としたセックスは動画の中と完全に同じだった』。

X(旧Twitter)@sirotodotei

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