2025.8.21
「エモい」と「加害」──『モテキ』世代の30代男が派遣社員に恋をした結果、ハラスメントで職場をクビに【平成しくじり男 第1回】
「平成」という時代に生まれ育った男たちが苦境に立たされている──彼らはなぜ"しくじって"しまうのか?

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まるで『モテキ』みたいな恋だと思ったのに……
知人の男が会社をクビになった。派遣先の会社で、同じく派遣社員の年下の女性に告白したことが原因だった。
その知人の男の名を、仮に中村としよう。
中村との初めての出会いは、新宿のバーだった。僕がバーテンをしていたお店に、中村が客としてやって来たのがきっかけだ。
まともに互いの話をしたのは、中村が3度目に店に来たときだった。話を聞くと中村は僕と同じ平成4年生まれの男で、30歳を過ぎても女性と付き合ったことがないらしかった。そして誰とも付き合ったことがない自分に、強いコンプレックスを抱いていた。
しかしカウンターの中から見る中村は、特に人から好かれない人間には見えなかった。男女問わず隣に座った人の話を丁寧に聞くし、酒癖も悪くなかった。少し自意識過剰なところはあるが、それも可愛げの範囲内に思えた。僕自身もアラサーになるまでまともな恋愛ができず、そのことをずっとコンプレックスに思っていたから、そんな中村のことを心の中で応援していた。
知り合ってから1年が経つと、中村が職場で好きな人ができたと報告をしてきた。詳しく話を聞くと、中村が好きになった相手は、派遣先の職場で同じく派遣社員をしている年下の女性ということだった。アラサーでまともな恋愛をしたことがない男が年下の派遣社員の女性を好きになるなんて、まるで久保ミツロウの漫画『モテキ』みたいな話じゃないかと思った。
「大学生の頃に読んだ好きな漫画に『モテキ』っていうのがあって……」
そのことを中村に伝えようとすると、「『モテキ』は自分のバイブルなんですよ!」と中村が興奮気味に言ってきた。同い年で、似たコンプレックスを持つ僕らは、同じ漫画を愛していたようだった。
久保ミツロウの漫画『モテキ』は、草食系男子の恋愛をユーモラスに描いた作品だった──ここまで書いたところでひとつ気づいた。『モテキ』の話をする前に、もう死語となってしまった”草食系男子”という言葉を、説明しておく必要があるのではないだろうか。
“草食系男子”とは、2000年代後半に流行した言葉だ。恋愛や結婚に対して消極的で、優しく穏やかな性格の男性を指す言葉として流行した。恋愛に対して積極的でガツガツしている”肉食系男子”に対するアンチテーゼとしての言葉だった。
“草食系男子”という言葉が当時どのくらい流行っていたのかと言うと、2009年のユーキャン新語・流行語大賞のノミネート候補に躍り出たくらいだ──ここまで書いたところでまたひとつ気づいた。ユーキャン新語・流行語大賞が、まだちゃんと本当に流行語を捉えていた時代があったことを、説明しておく必要があるのではないだろうか。
平成4年生まれの僕の人生は、ユーキャン新語・流行語大賞とともにあったと言っても過言ではない。少なくとも、自分の人生と流行語が連動しているという感覚が強くあった。
小学生の頃、登校して友達と会えば慎吾ママの「おっはー」(2000年大賞)という挨拶を交わしていたし、多摩川に現れたアゴヒゲアザラシの「タマちゃん」(2002年大賞)のことは朝のホームルームでいつも先生が話題にしていた。休み時間になればテツandトモの「なんでだろう〜」(2003年大賞)を替え歌にして遊び、体育の授業で水泳をすれば北島康介の「チョー気持ちいい」(2004年大賞)と皆で叫んだ。想定外のことで先生に怒られたときはホリエモンの「想定内」(2005年大賞)を口にすることで友達と励まし合い、下校時には路上で荒川静香の「イナバウアー」(2006年大賞)のマネをしてその再現度合いを競い合った。
別に自分たちが生み出した言葉でもないのに、普段から面白くて使っている言葉が流行語大賞に選ばれるのは、心踊るものがあった。
それが今はどうだろうか。
昨年のユーキャン新語・流行語大賞に選出された言葉は「ふてほど」だった。TBSで放送されたテレビドラマ『不適切にもほどがある』の略称らしい。
阿部サダヲ演じる昭和の体育教師を現代にタイムスリップさせることで、コンプライアンスが厳しくなった令和を風刺する『不適切にもほどがある』は確かに面白いドラマだったし、僕も毎週楽しみにしていた。しかし誰も「ふてほど」なんて言葉は口にしていなかったではないか。そんな言葉を使っていたのは、番組公式Xアカウントくらいだ。かつては自分の人生と流行語大賞が連動する感覚があったのに、今ではそれが完全に失われてしまった。流行語大賞自体が、まさに自分が捉えようとしている流行から取り残されていくのを見るのは、なんだか悲しいものがある。
少し取り乱してしまった。話を戻そう。
久保ミツロウの『モテキ』は、草食系男子の恋愛をユーモラスに描いた作品だった。主人公は、アラサーだけどまともな恋愛をしたことがない派遣社員の男・藤本幸世。そんな幸世くんに、突如としてモテ期が訪れる。
はじめに幸世くんにアプローチをしてきた女性は、幸世くんが前の職場で派遣社員をしていたときに知り合った、同じく派遣社員で年下の女性・土居あきだった。
職場でのふとした会話をきっかけに、幸世くんは土井あきと週末のフジロックで合流することになる。しかしそこで土居あきが彼氏とイチャつく姿を見てしまった幸世くんは、「オシャレなカップル同士でフェスに来る奴全員……絶滅しちゃえよおおお」と劣等感を爆発させてその場から走って逃げ去ってしまい、2人の関係はそれっきりだった。
そんな土居あきからの1年ぶりの連絡を皮切りに、一斉に複数の女性からアプローチされる幸世くんだったが、まともな恋愛経験がないため、女性たちと傷つき傷つけられる恋愛をすることになる。
その過程で描かれる幸世くんの感情は、恋に不器用で自分の気持ちに正直な人間だからこそ溢れ出てくる、生々しいものばかりだった。そんな幸世くんの姿を見ていると、自分が普段は隠している感情が幸世くんを通して表出されているみたいで、どこか気恥ずかしくもあり、同時に、妙に清々しかった。当時の言葉で言うならば、それはものすごく「エモい」ものだった。
僕が『モテキ』から受け取ったメッセージは、恋に不器用でモテない草食系男子の恋愛賛歌だった。『モテキ』はドラマ化・映画化を通して一種のカルチャー現象となり、平成の恋愛観を象徴するものとなった。どれくらい流行したのかわかりやすく説明しておくと、「モテキ」という言葉が2010年のユーキャン新語・流行語大賞の候補にノミネートされたくらいだ!
そんな『モテキ』に出会ってから、恋に不器用な人間を強く肯定するようになった気がする。街を歩けばリア充ばかりに目がいくが、自意識過剰で非モテな人間のことをよしとする人間が、実は世の中にいっぱいいるのだ。非モテの草食系男子だって取り乱しながらも恋愛の主人公になっていい。そんな風に、背中を押してもらえた気がした。
30歳を過ぎて初めて恋愛をした中村のことを無条件に応援したのは、その向こう側に、あの頃の幸世くんの姿を見ていたからだ。中村は奇しくも幸世くんと同じアラサーの派遣社員で、恋した相手も土井あきと同じく年下の派遣社員だった。しかしその恋の行方は、幸世くんのそれとはあまりにも違った。中村は告白をして振られ、ハラスメント相談窓口に相談され、会社をクビになった。
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