2026.2.16
食べることはわたしにとって難しいものになった【第12回 】「お弁当」というリレー
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食べるのが怖かつたこと空の色がからだのなかに入りさうだつたこと
10代の頃、食べるのが怖くなったことがある。食べると体に違和感を感じるようになった。体が濁る感じがして、なるべく何も体に入れたくなくなった。それまで父母の作ってくれたお弁当を持って行っていたのに、いらないと言って購買でパンを一つ買ってそれだけで済ますようになった。
それまで考えて食べることなんてなかったのに、以来食べることはわたしにとってとても難しいことになった。何を食べると自分が大丈夫なのか、いつも考えずにはいられなくなったのだ。その感覚は、次第に薄まってきているとはいえ、今でも完全に無くなってはいない。
わたしの個人的な問題だけでなく、食べるという行為は現代においてとても難しくなってきているのではないだろうか。巷にあふれる健康法。野菜から食べた方がいい。タンパク質が大事です。空腹の時間を多く取るべきだ。カロリー、栄養素、ダイエット、見栄えよく手軽に作ることのできるレシピの数々。食べることは身体的な営みではなく、思考的な重要事項になってしまった。
生きていくためには、食べることをやめることができない。一方で、食事は生活を支える楽しみでもあり、毎日のことだからこそ大変なことでもある。家にいて仕事をしているせいもあり、この頃わたしはお弁当だけではなくて、自分のために簡単な昼食を用意することがある。といってもたいそうなものは作らない。火を使わないサンドイッチや、具沢山のサラダや簡単なスープといったもの。
ひとりの午ひとりの食事を作りたりまな板の上にまるき陽の差す

冷蔵庫の中身と相談して、自分の食べたいものを作る。まだー?と尋ねる子どももいないから、時間だって気楽なものだ。音楽をかけながら、一人分をままごとみたいに作る。思えば、これまでわたしが作ってきた料理はほとんど誰かのためだったなと思う。実家にいた頃は共働きの両親や、お腹が空いたと言う妹や弟のため、そして結婚してからは夫と子どもたちのため。なんとか作り続けることが重要であったから、そこにわたし自身が入り込む余地などなかった。
こうやってゆっくりと自分のために料理をしていると、とても満たされた楽しい気持ちがしてくる。こしらえたものはとても自分にフィットして滋養があるように思えてくる。自分の手で自分のお腹と心を満たせるものを作ることができるのは、わたしを楽しく自由な気持ちにさせてくれる。こんなとき、わたしは少しだけ食べることの難しさから解き放たれる。時に庭の木の葉が風に揺れるのを見ながら、音楽を流しながら、時には少しお行儀悪く朝刊を眺めながら、お昼ごはんを食べる。
朝ごはんの慌ただしさも、夕ごはんほどのプレッシャーもないからお昼ごはんは気楽だ。そしてだからこそ自分自身の「食べること」と向き合う機会でもあると思う。お昼ごはんの難しさを感じている人が多いみたいだと気がついたのは最近のことだ。わたしの著書『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』で自分自身に料理を作ることについて書いたから、会う人が料理について話してくれることが増えた。そのほとんどの人が「自分のために料理を作れないこと」に悩んでいた。
ある人は、家族にはちゃんとしたごはんを用意するのに、自分にはそういう気になれなくて、お鍋ひとつでラーメンのような簡単なものを作って、そのまま直に食べてしまうことに罪悪感を感じる、と言っていた。またある人は、朝と晩のごはん作りに疲れてしまって、お昼はお菓子をつまむことで済ませてしまうことが気になっていると話していた。
料理がわりあい好きなわたしだって、一日に三度も料理をするのは正直大変だと感じる。洗い物を最小限にしたいと思うのだってうなずける。大きな声では言えないけれど、わたしだってお菓子や残り物だけでお昼ごはんを済ませてしまうこともある。いつでも誰に見せても恥ずかしくないようなごはんを三食作り続けることは、大変に難しいことではないだろうか。だからといってとりあえず空腹をなんとかすることだけを目的としてしまったら、ごはん作りの大変さとは違う部分がゆるやかに蝕まれていきそうだ。

料理とはちひさな祈りまだ暗き台所に灯をともしてをりぬ
だからわたしは毎日でなくていいから、お弁当を作る。家族のために、または自分のためにお弁当を作る。誰かの作ってくれた食べもの、淹れてくれた飲みものが心身に沁みるおいしさであることは、多くの人が経験していることだろう。お弁当を自分に作ることはちょっとそれに似ていて、未来の自分へのささやかな贈り物だと思う。家族のために作るお弁当は少し大袈裟に言うと、今日も楽しくありますように、このお弁当を食べる時間が楽しみで満足する時間でありますようにという祈りに似たものだ。だからわたしはお弁当が好きだ。
今日のお弁当は、わたしの好きな鮭のムニエル、焼きズッキーニ、豚こまと白滝の煮物、にんじんと葱のきんぴらだった。冬の朝6時はまだ暗い。台所の窓から外を見ると、うっすらと明けていく空に細い月がかかっていた。まだ誰も起きてきておらず、ストーブの炎の音とわたしが立てる包丁の音が響くだけだ。寒いな、まだ寝ていたいなと思わないでもないけれど、わたしはこんな時間がわりあい好きだ。そしてこういう時間を楽しめているときのわたしは元気なのだと思う。
いつか子どものお弁当を作らなくなり、夫のお弁当が必要ない日が来るだろう。そんな年代になっても、わたしはお弁当を作り続けるような気がする。未来の自分へ、大切な人へちいさな祝福を手渡すように、平安の願いを託すように、お弁当箱の中にわたしの作ったものを詰めるだろう。少し過去のわたしから、ちょっとだけ未来のわたしへリレーをするように。食べること、料理することの大変さ、面倒くささを持ちながら、わたしは今日もやっぱりお弁当を作る。
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*次回更新は、3月16日(月)です。
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