よみタイ

食べることはわたしにとって難しいものになった【第12回 】「お弁当」というリレー

歌人の齋藤美衣さんの著作『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』は、自身が内包する「傷」を掘り下げ、その筆力もあいまって話題となりました。続けて刊行された歌集『世界を信じる』も、暮らしの中の一瞬や移ろいを清澄な言葉でとらえ好評です。
日々を過ごすなか、また、過ぎた時間のなかに、惑い途方にくれること、悔恨、屈託、解放されたこと…暮らしの断片と陰影を、歌に込め文に紡ぐ短歌エッセイです。

バナーイラスト/鈴木千佳子 本文写真/著者提供

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花いちりん咲かせるやうに卵液をおほきく混ぜる春の日の朝

 お弁当を作るようになったのは結婚してすぐの頃だったから、かれこれもう27年も作り続けていることになる。
 結婚当初、会社勤めの夫のためにお弁当作りを始めた。毎日、お昼の食事代に回す金銭的余裕がなかったからというのがその主たる理由だ。その頃は失敗も多かった。夫の体調が今ひとつの時に塩さばを焼いたものを入れてしまい、青魚の生臭いにおいにやられて気持ち悪くなってしまったと言われたことがあった。また節約のために手頃な値段の鶏胸肉にハーブをまぶして焼いたものをあまりに頻繁にお弁当に入れたために、彼は以来鶏肉とハーブの組み合わせが苦手になってしまった。それでも当時借りていた古いアパートの小さな台所でお弁当を作るのは、どこかままごとじみていて、今思うと楽しかった。

胡麻和へを弁当箱に詰めながら背中越しに子らを起こしぬ

 子どもが大きくなると、今度は学校にお弁当を持たせなくてはいけなくなった。その頃は仕事も忙しく、三人の子を抱えて家の用事も増えていたから、お弁当作りは毎日必死だった。子どもの通っていた学校には学食もなく、毎日なんとかお弁当を作って持たせることが何より重要で、月曜日から金曜日まで5日間毎日お弁当を作り終わると、ほっとしてラジオ体操の出席カードにハンコを全部押したような気分になった。

 三人の子どもは7歳ずつ離れているので、お弁当作りはなかなか終わりにならず、今でもわたしは毎日夫と子どものお弁当を作っている。乳児を抱えて会社の仕事をしていた頃よりは心身の余裕ができたけれど、お弁当作りはやっぱり大変な仕事だ。
 メインのおかずに野菜のおかず、卵焼きなどのお弁当の日もあれば、寝坊してしまったり、お弁当用の肉や魚がなくて工夫を凝らして作るお弁当の日もある。鶏もも肉の照り焼きを海苔のごはんの上に載せて、紅生姜を添えた照り焼き丼弁当は、寝坊してしまった時のお助けメニューの一つだ。
 これを作る日は、「いろんなおかずがなくてちょっとわるいなあ」という気持ちで慌ただしく作っている。夫と次男の二つのお弁当箱にこのお弁当を詰めていた朝、ちょうど帰省していた長男が台所を通りかかって、「お、これうまいんだよね。好きだったなあ」と言った。寝坊してしまって急いで作る時のお助けメニューを、そんなふうに思ってくれていたなんてこれまで全然知らなかった。

 お弁当は言葉のない手紙に似ている。受験に向かう子どもに手渡すお弁当には、トンカツを入れてひそかに応援したり、ちょっと元気がなさそうな日には好物のチーズハンバーグを詰めてみることもある。毎日のことだから、わたしの元気と冷蔵庫の食材の具合によるけれど、「がんばってね」や「だいじょうぶ?」という言葉をかけずに、いつもと同じように「行ってらっしゃい!よい一日をね」と送り出すのだけれど、お弁当にちょっとだけ気持ちを託す。わたしがお弁当作りを30年近く続けているのは、お弁当を作ることで助けられている家族とのコミュニケーションがあるからかもしれない。

 時には自分の分もお弁当を作る。自宅で仕事をしているから、ちょうどきりのよい時に食べられるお弁当は便利だ。自分の分も作る日は、わたしが食べたいものを作ると決めている。といっても、わたしの好きなものはそんなに大したものじゃない。塩鮭の焼いたものや、きんぴら、卵焼きや胡麻和え。こんなごく普通のおかずをちまちまと曲げわっぱのお弁当箱に詰めておいて、お昼に蓋をひらくのは楽しい。しみじみとうれしいな、ああ、おいしいなあと思いながら食べる。終わったらお弁当箱をさっと洗って、すぐにまた仕事に戻れるところもいい。

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新刊紹介

齋藤美衣

1976年広島県生まれ。急性骨髄性白血病で入院中の14歳の時に読んだ、俵万智の『サラダ記念日』がきっかけとなり短歌を作り始める。著書に、『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』(2024年/医学書院)、第一歌集『世界を信じる』(2024年/典々堂)がある。

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