2025.10.20
社会に自分の居場所がないなんて耐えられなかった【第8回】ささやかだけどたしかな毎日
日々を過ごすなか、また、過ぎた時間のなかに、惑い途方にくれること、悔恨、屈託、解放されたこと…暮らしの断片と陰影を、歌に込め文に紡ぐ短歌エッセイです。
バナーイラスト/鈴木千佳子 本文写真/著者提供
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妖精の乳歯のやうなむらさきを摘みぬ駅まで手に乗せてゆく

家を出て、すぐ下の坂道を歩いていたら、道の端に無数の紫が散っているのが目に留まった。葛の花びらだった。まだ気温は高く、日傘を差して歩いていたのだけれど、季節は確かに動いている。わたしは屈んでその花びらをいくつか手に取った。それをてのひらに乗せたまま、駅までの道をゆっくり歩いた。
わたしの一日はとても地味で単調だ。だいたい5時半ごろに起きて身支度を済ませると、お弁当と朝ごはんを作る。7時半に子どもを見送ったら、朝ごはんの片付け、お風呂とトイレ掃除、洗濯物を畳む(前夜に洗濯乾燥しておいたものを、朝片付ける)。ゴミをまとめて、洗面台を拭いて、だいたいそこで8時半から9時くらい。ここでちょっと休憩を兼ねて、録画しておいたNHK短歌を見る。
そこからそのままソファで本を読むか、書斎へ行って書きものをスタートする。日によって訪問看護が入ったり、病院へ行ったり、あとは用事がなくても健康のために毎日駅前まで歩いて行くことにしているので日中一度は出かける。葛の花を見かけたのは、そんな散歩の途中だった。わたしはその日、駅前のスーパーでゴム手袋と石鹸を買い、いつものお花屋さんでクリーム色のケイトウを3本買って帰った。
買ったものを片付け、ケイトウを花瓶に飾ってから、メールの返信、書きものの続き、それに疲れたらまた本を読む。そうこうしているうちにたちまち夕方で、夕ご飯の支度をして、家族が帰ってきて、ご飯を食べ、片付けて、またちょっと書きものをして、そうするとあっという間に一日が終わってしまう。こうやって改めて書いてみても、つくづく同じところをぐるぐるするだけの代わり映えのしない地味な生活だなと自分でもあきれてしまう。
ささやきは小波となりて寄せかへす「役立つ人におなりなさい」と
以前は違った。わたしは2年前まで夫と二人で小さな会社を経営していた。自宅と仕事場は別だったけれど、夫婦で共にやっていることもあって、仕事は自然とうちにも持ち込まれた。出張にもよく行った。取引先で一日中立ちっぱなしの販売もあった。トイレ掃除から給与計算から出張から取引先の開拓からなんでもやった。今思い返してみても、とても緊張感のある毎日だった。売り上げがなければ取引先にも、働いてくれている人たちにも支払いができない。毎月毎月支払いに追われているような気持ちがした。おまけにわたしは仕事ができなかった。ごく少しある種の仕事はできるのだけれど、なんでも自分でできなければならない小さな会社ではそれだけではだめで、わたしはいつも自分を不甲斐ないと思っていた。次第に精神がすり減っていき、それでも15年はそれを続けた。
でももう限界だったのだと思う。わたしは精神のバランスを崩してメンタルクリニックに通うようになった。適応障害だと診断された。主治医は、「仕事をやめることはできないのですか」と尋ねた。わたしは仕事をやめるように何度言われても、「そんなことはできません」と繰り返した。自分の会社をやめるなんてできないと思っていたからだ。それに、他に自分ができる仕事も思いつかなかった。社会に自分の居場所がないなんて耐えられなかった。わたしはかなり不安定なぎりぎりのバランスで15年を過ごした。
突然その日は来た。思い当たる理由もなく毎日何度も襲ってくる希死念慮のあまりの苦しさに、わたしは自殺を図った。警察に保護され、そのまま入院をすることになってしまった。仕事がどうこう言う状況ではなくなった。あらゆるものから遮断された入院生活を7週間送った。わたしはそれを機にそれまでの仕事から離れた。それから程なくして、思いがけない縁で書く仕事を始めて今に至っている。書く仕事が楽だとは思わない。この原稿だって、この前に二つ別のことを書きかけて、それがどうにもうまくいかなくてボツにして今のこれを書いている。でもわたしはこれまでやってきた組織に属しながらする仕事や、毎日同じ場所に通うのではないこの仕事がこれまでで一番無理がなく、負担なくできると感じている。
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