よみタイ

はにかんだ笑顔の奥に隠された祖父のさみしさと困難と【第5回 シベリア凍土のキャベツとポケットのミルキー】

十本の指で掘り起こすシベリアの凍土の中のしなびたキャベツ

 そんな祖父から直接聞いた話はほとんどない。祖父はわたしにポッキーをくれ、飴をくれ、そして夕ご飯の献立を尋ねた。わたしにとっての祖父は、そういう存在だった。たった一度だけ、祖父が自分の話をしたことがあった。それはシベリアに抑留されていた3年間のうちのほんのちょっとしたエピソードだ。陸軍士官学校を出た祖父は、中国で終戦を迎えた。当時はダムを守る仕事をしていたという。そこからシベリアに運ばれて抑留されたそうだ。わたしが聞いた話は、その当時のささやかなエピソードだ。
 列車でどこかに向かっているが、いつまで揺られるのかわからないまま運ばれている。列車が止まったところで降ろされて、凍てつく雪の中、強制労働をさせられるのだ。列車で運ばれる間、十分な食料も休憩も与えられない。牛や馬が入るような貨車にぎゅうぎゅうに押し込められていた。時折列車が止まった。貨車の交換や運転の交代だろうか。そのわずかな時間に皆我先に列車を降りて、雪に埋もれた凍土を急いで素手で掘ったそうだ。雪の下には、時折少しの野菜が半ば凍って打ち捨てられていたという。祖父たちはそれを食べて飢えを凌いだ。祖父が語ったのは、そのとき食べたキャベツの芯がとても甘くて、世の中にこんなおいしいものがあるのだろうかと思ったということだった。わたしはその話を聞いたとき、祖父が「のびょーかのおじいちゃん」でなく、ひとりの人なのだと初めて思った。

黒土に汚れた指で食べてゐしキャベツの芯の甘し 宵闇

 祖父が亡くなってもう30年近く経つ。永遠にわたしにポッキーやバター飴をくれて、ずっと夕ご飯の献立を尋ねる電話がかかってくると思っていたのは、わたしがまだ子どもで、時間というものがわかっていなかったからだ。時間というものは一直線上に進むわけでも、毎日が変わらず永遠に繰り返されるわけでもない。繰り返しのような日々も少しずつ変化していくし、何かの出来事をきっかけに暮らしは激変するものなのだ。ずっと変わらず続くと思っていたその習慣が途切れるのは、存外早かった。祖父は何度目かの脳梗塞で倒れて、それ以来病院でずっと過ごすことになった。もうわたしにポッキーをくれることも、夕ご飯の献立を尋ねることも、雪の中から掘り起こしたキャベツの芯の甘さを語ることもなかった。祖父はもう体を動かすことも、話すこともほとんどできなくなっていた。
 祖父が亡くなってから、わたしは祖父の書斎の本を何冊か手に取った。祖父と同じようにシベリアに抑留されて帰還した人たちがまとめた手記、ノンフィクション。そういった本がいくつもあった。わたしはそれらを次々手に取った。祖母や母に祖父の思い出話を聞いたりもした。そこにはわたしの知らない祖父がいた。剣道の達人で天皇陛下の前で御前試合をしたという若者。とてもハンサムで町中の女の人がぽーっとなったというひとりの男性。とても厳しくて子どもの頃の母が言うことを聞かないとすぐにひっぱたいたという父親になった彼。そして母たちからも聞いた、凍てついた土の中のキャベツの芯を食べたシベリア抑留を生き抜いたひとりの男性。語られたひとつひとつの物語の断片によって、ひとりの人が立体的にわたしの前に立ち上ってくるようだった。
 詫びたいような気持ちになる。わたしがちょっと嫌だな、苦手だなと思ったバター飴は、シベリアの地では夢に見るほどに貴重だったであろうこと。わたしがめんどくさいと思った夕ご飯の献立を尋ねる電話は、毎日それほどバラエティに富んでおいしいご飯をわたしが食べられていることを寿ことほぐものだっただろうこと。困ったようなはにかんだ笑顔の奥には、祖父が超えてきたたくさんのさみしさや困難があっただろうこと。こんなことに気づかず、もののゆたかな時代に苦労せず生まれ育ったわたしはいい気なものだった。

甘藍のやはらかき葉をはがしをり流し台へと差したる西日

 キャベツを料理するたびに祖父のことを思い出す。夕方のひかりの中で、わたしはキャベツを取り出してその葉を二、三枚そっと剥がす。芯につながるところをなるべく無駄にしないように、力を加減して根本から取るようにする。ぱきりと軽い音がして、キャベツの葉はわたしの手の中にある。白い芯を中心に、薄い緑色の葉がやわらかに波打っている。
 わたしはキャベツの芯を捨てたことがない。千切りをするときには、残った芯を薄くスライスした後、さらに細く切って、白くシャキシャキした細切りにして交ぜて使う。あるいは、斜めにスライスしてスープや味噌汁に使う。ときには、料理中に立ったまま、野菜スティックのように切った芯をぽりぽり食べてみる。季節によってキャベツの芯は青くさかったり、うす甘かったり、あまり味がなかったりする。祖父が食べたキャベツの芯は、これに似ているのか、全く違うのか。それを確かめるすべはない。 
 先日2、3年ぶりに実家に帰省したとき驚いた。なんとわたしの父が孫にあげるためにポッキーを買っていたのだ。赤い直方体の箱は、わたしが子どもの頃とはちょっと変わっていて、蓋の部分のベロを差し込んで仕舞えるようになっていた。一箱が小分けの袋入りになっていて、少しずつ食べられるようになっている。わたしが父から預かって持って帰ってきたポッキーをわたしの子どもたちはとても喜んだ。それを見てわたしはちょっとうれしかった。そしてやはり祖父のことを思い出した。今ならわたしはもっといろんなことを祖父に話せるのに。祖父の話をもっと聞きたいのに。それはもう叶わない。わたしにできることは、祖父の話を子どもにすること、キャベツの芯を捨てないことだけだ。

*次回更新は、8月18日(月)です。

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新刊紹介

齋藤美衣

1976年広島県生まれ。急性骨髄性白血病で入院中の14歳の時に読んだ、俵万智の『サラダ記念日』がきっかけとなり短歌を作り始める。著書に、『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』(2024年/医学書院)、第一歌集『世界を信じる』(2024年/典々堂)がある。

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