2025.6.16
子育ても仕事もうまくいかないとき、一番心待ちにしていたのは 【第4回 台所で夫にどなった日】
日々を過ごすなか、また、過ぎた時間のなかに、惑い途方にくれること、悔恨、屈託、解放されたこと…暮らしの断片と陰影を、歌に込め文に紡ぐ短歌エッセイです。
バナーイラスト/鈴木千佳子 本文写真/著者提供
泣きながら怒鳴つた夜のあつたこともめん豆腐を縦横に切る
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まだ暗くなりきる前の時間、わたしは台所に立って夕ごはんを作っている。今日は、鶏団子の煮物、もやしと豆苗の胡麻和え、キムチ豆腐。夫が近くに立って、ワイングラスを片手にわたしに話しかける。なんてことのない会話をしながら、わたしは手を動かして料理をする。窓の外は夕焼けが薄くなって、もうそろそろ茜色は消えてしまいそうになっている。出来上がったばかりの胡麻和えを夫に「ちょっと食べる?」と聞いて、小皿に盛り分ける。「お、ありがとう。いいね、こういうの大好き」と夫が言う。
このときわたしは思い出していた。同じ台所で、夫に怒鳴った日のことを。それは10年ほど前のことだろうか。
その頃思えばわたしはこれまでで一番忙しかった。16歳、9歳、1歳の子どもを抱え、夫と小さな会社を経営していた。夕方仕事から帰ると座る間もなく、ごはんの用意をしたり洗濯物を取り込んで畳んだりした。お茶を飲んだりなんてしないで、ソファに座って休んだりしないで、わたしは立ったままグラスにワインを注いで、それを飲みながら料理をしたり家事をこなしたりしていた。空腹のまま飲んだワインはお腹に温かみを与え、その感覚だけで生きている感じがした。それは間違っているものだとわかってはいたけれど、その確かさと心地よさを手放すことができなかった。自分の状態をうっすら「まずい」とは思いながら、その時間と習慣のない生活など考えられなかった。ワインをまるでガソリンのように体に注ぎながら立ち働いているうちに、だんだんいろんなことがよくわからなくなってくる。よくわからなくなってしまっていいと思った。わたしは疲れていた。わたしは毎日不安だった。だからよくわからなくなったままでいたかったのだと思う。
その頃のわたしは、いろんなことがくるしかった。これはいまだからくるしいと言えるのだけれど、当時は「これはくるしいのだ」とわかっていなかった。わかっていたことは、わたしは家に帰ってきてグラスにワインを注ぐ時間を、一日のうちで一番心待ちにしているということだけだ。子育ても仕事も全くうまくできていないと感じていた。うまくできないことをどうにかするためには、がんばるしかないのだと思っていた。自分にできることなどほとんどないと知っていたから、わたしは家事をこなし、なんとか仕事を続けるしかできなかった。でももうほんとうはがんばることなどできないほど疲れ切っていたのだ。いまこの頃のことを思い返すと、胸が闇でべったりと塗り込められているように感じて息ができなくなる。
19歳から発症した摂食障害は、わたしの「食べること」をずっと難しくしてきた。食べたものはいつも体に違和感を与えた。体の中に何か異物が入ってしまったようで、それを吐き出してしまいたい衝動に駆られる。体が濁ってくるように感じる。でもお酒は大丈夫だった。いくら飲んでも体は透明のままで安心だと感じた。お酒は体に温かみを与え、それと同時に体をわからなくさせてくれた。違和感なく体に取り込むことができるのはお酒しかなかった。何も食べずにわたしはワインを飲み続け、飲みながらごはんを作り、出来上がる頃にはごはんなど全く欲しくなくなるのだった。完全なアルコール依存症だったと思う。
ある日、どんなきっかけがあったのか思い出せないが、夫と口論になった。夕ごはんも終わり、片付けをしていた時間だった。わたしは次第しだいに興奮し、激昂していき、しまいには夫に向かって怒鳴っていた。自制が利かずに怒鳴りながら、一方で怒鳴っている自分のことを冷静にも見ていた。「いま、わたしは何に怒鳴っているんだろう」。冷静な一方のわたしはそう思っていた。呂律の回らない口で怒鳴りながら、それでもさらにワインを飲み続けた。悔しくてかなしくて涙が出てくる。泣きながらわたしは怒鳴った。わたしは夫に向かって怒鳴っていたけれど、ほんとうは夫に怒鳴っているのではなかった。わたしはどこにもわたしの居場所のない、すこしもわたしに優しくしてくれないこの世界に怒鳴っていた。怒鳴っても、怒鳴っても答えはなく、そこにはただ絶望があるだけだった。その絶望に向かってわたしは怒鳴り続けた。その日、どうやって怒鳴りやめて、どうやって眠りについたのか覚えていない。
お酒をやめられたのは幸運だったと思う。誰かに指摘される前に、決定的な問題に直面する前に、わたしの中に残っていたわたしが「お酒をやめよう」と決めた。7年くらい前だろうか。ある日つくづくお酒にまつわる全てが嫌になって、突然飲むのをやめた。いつも家のワインの残量を気にしていること。今週はこれだけにしようと思って週末に買ったワインが足らなくなってこっそり買い足すこと。ゴミの日にたくさんの空き瓶を見てぞっとすること。夜中に酔っ払って作った短歌を翌朝見て全然だめだとがっかりすること。朝起きて、もうそこから疲れていて、夕方早く仕事を終えてまたワインが飲みたいと思うこと。そんなことの全てが嫌になった。それ以来ずっとお酒を飲んでいない。もしかしてわたしはあのとき怒鳴っている自分がつくづくかなしくて、つくづくかわいそうで、お酒をやめられたのかもしれない。お酒だけがわたしを透明にしてくれるなんて、嘘だ。その当時だってほんとうは知っていたのだけれど、わたしはその嘘にすがるしかやり方がわからなかった。こうやって書いていて、とてもくるしくなる。その当時のわたしのくるしさや孤独を今ここにあることのように感じる。
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