2025.5.19
完璧な母、理想の母はどこにいる? 【第3回 キャベツを刻む手に連なるもの】
日々を過ごすなか、また、過ぎた時間のなかに、惑い途方にくれること、悔恨、屈託、解放されたこと…暮らしの断片と陰影を、歌に込め文に紡ぐ短歌エッセイです。
バナーイラスト/鈴木千佳子 本文写真/著者提供
息とめてキャベツの千切りするゆふべふいにわが手は母の手になる

母は千切りが得意だった。包丁をトトトトとリズミカルに動かして、とても細くふんわりとキャベツを刻むことができた。幼いわたしは、千切りをする母の手元を「魔法のようだ」と見つめていた。母の手はいつも濡れていて、赤と白のまだらのように見えた。指はほそいのに節が太く、休む時などなくいつも動いていた。まだ小さかったわたしは、大人になったらわたしの手も母のように赤と白のまだらになるのかな、母の手はいつもどうして濡れているのかなと思いながら、料理をする母にくっついていた。
大きくなってきて料理の手伝いをするようになると、あんなに易しそうに見えた千切りは、母のやっていたようになどできないのだった。母が糸のように細く刻んでいたのに、わたしのはうどんのように太い上に不揃いだった。わたしが刻んだキャベツは母が刻んだようにふんわりしないで、ぺちゃんこにつぶれているように見えた。
「それじゃあ千切りじゃなくて百切りだね」と言われて、なるほど確かにわたしのは千切りじゃなくて百切りかもしれないないと思った。わたしはちょっとかなしくなって、いつか母のようにうつくしい千切りをしたいと密かに思った。その後もキャベツを千切りする時には「それじゃあ百切りだね」という母の声が聞こえる気がしてしまう。だからわたしは息を止めて、指先に神経を集中してキャベツを刻む。この時のわたしを誰かが見たら、とても思い詰めているようで、ただキャベツを刻んでいるようには見えないだろうと思う。
わたしにとって母は完璧だった。父と一緒に会社を経営し、母のはたらきのおかげで会社は年々大きくなった。仕事だけでなくわたしたち子どもにもなんでもやってくれた。洋服も縫ってくれたし、おやつもおいしいごはんも作ってくれた。あんなに忙しかったのに、栗やたけのこなどの季節の食材を使った料理もちゃんと食卓に上った。母は美人でスタイルもよかった。一方わたしはキャベツを千切りできないばかりか、顔もスタイルもぱっとしないのだった。わたしにとって母はどこからどう見ても、りっぱな正しい人だった。
当たり前だけれど、わたしにとって母は生まれた時から母だった。母がひとりの人なのだということは頭ではわかっていたけれど、どうしてもわたしには母は母なのだった。わたしはいつの間にか、自分の胸の中で母をそのように決めつけてしまっていたのかもしれない。わたしは結婚が早く、22歳で母親になった。母というものになってみると、何をするにしても頭の中に浮かんでくるのは、わたしの母がわたしにしてくれたこと、言ったことなのだった。そして母がやったようには、どうがんばってもわたしにはできないように感じていた。
どうすればいいのかわからなかった。けれどがんばるしかないのだと思った。だからいっしょうけんめいやった。おむつは布で通した。子どもの服を縫った。節約のために、夫のお古のズボンから子どものズボンを作った。保育園の通園バッグにも自分で刺繍を入れた。おやつもごはんも全部手作りした。
でもわたしはどれだけやっても母には到底届かないと思っていた。大学を出たのに、わたしはうまく仕事ができなかった。事務作業は壊滅的にできなかったし、電話のメモを取ることもできなかった。わたしはつい数年前にASD(自閉スペクトラム症)だと診断された。けれどこの当時はなぜ自分がいろんなことが人並みにできないのかわからなかった。学校の勉強では困らなかった。勉強ができれば仕事というのはできるものだと思っていたから、これは努力の問題なのだと考えて、さらにがんばるループを繰り返すのだった。
