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靴底がなくなったことに気づかないシンデレラがいるのかも

落とし物の数だけ、物語がある――。落とされたモノにも、そして落とした人にも。 『去年ルノアールで』『たとえる技術』などで知られる奇才せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。 前回は、瞬間接着剤の落とし物から、まさかの「新婚さんいらっしゃい!」に話が飛んだ著者。今回は、これは読者のみなさんもよく見るであろう「靴底の落とし物」をめぐるストーリー。
路上にて。「なぜかよく落ちているランキング」があったら確かに上位に入るのが靴底だ。(写真/ダーシマ)
路上にて。「なぜかよく落ちているランキング」があったら確かに上位に入るのが靴底だ。(写真/ダーシマ)

靴底のない靴、それは鼻緒しかない草履だ

靴底が落ちていること自体はさほど珍しいことではない。ずっと保管していたスニーカーの底が加水分解して取れてしまってガッカリした経験がある。また、古い靴や安い靴だと取れてしまっても不思議ではない。

そのため靴底が落ちていても特に興味を持たないのだが、靴底の落とし主のことを考えると話は変わってくる。

先にも述べたように靴底が取れるまでは理解できても、その後落とし主が「靴底がない!」と気づく時があったわけで、それがどのタイミングだったのはまったくの未知だ。気になって仕方なくなり、想像がどんどんと膨らんでいく。

靴底がそのまま残っているということを考えると、落とし主が気づいたのは靴底が取れた直後ではないと推測できる。もしもすぐに気づいたのならば靴底を拾って応急処置を施すなり、持ち帰って直すなりするはずで、放置することはない。あるいは親切な人が「靴底とれてますよ!」と渡してくれることもあるだろう。

となると靴底が取れたことに気づいたのはそれなりの時間が過ぎてからからということになる。教えてくれる親切な人もいなく、今さら引き返すのが面倒になり、そのまま放置することになったのだ。

ここで問題になってくるのが、その気づくまでの「時間」だ。数分なのか、数時間なのか、数日なのか。

そもそも靴底のない靴は靴ではない。それはアベベが裸足でマラソンを走った時と同じ状態であり、靴が脱げてしまった谷口浩美のようなものだ。突然、しかも2回連続でマラソンでたとえられてピンときていない人のためにわかりやすく草履でたとえると、鼻緒しかない状態なのである。それはもう草履ではない。

そんな状態なのだから違和感はあったはずだ。地面を踏んだ時の感触が違うはずだし、冷たかったり熱かったり、時には痛いことだってある。それなのにしばらく気づかなかったということは、何かに集中していたのだろうか? もしかしてアプリゲームに夢中になっていたのか。ガチャを回し終わって欲しかったものが出て、ひと息ついてやっと気づいたのかもしれない。

もちろん他の可能性もある。それは急いでいた場合だ。何かに遅刻しそうになり、待ち合わせ場所に急いで走っている途中に靴底が取れてしまう。しかし気づくことなく一心不乱にそのまま走り続けたというわけだ。気づいたとしても靴底にかまっている時間はなかったのだ。

これって何かに似てはいないか? そう、シンデレラだ。あちらはガラスの靴であったが、こちらは靴底。今頃誰かが靴底の持ち主を探しているかもしれない。

などと様々な想像をしてきたわけだが、落とし主がまだ気づいていないパターンもある。いまだ底のない靴を気づかず履いているのだ。これは大変奇異な事例であって、私の頭で想像できる範疇を超えているので、考えないことにした。

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新刊紹介

せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

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