2025.5.17
和食の味付けにとって最も大切な要素——「甘み」を考える
日本の「おいしさ」の地域差に迫る連載。
前回まで、和食の肝とも言える調味料、味噌と醤油について4回にわたりお送りしました。
今回からは、「味付け」というものについて考えていきます。
和食あまから問答①和食はなぜ甘いのか
和食の味付けの特徴の一つが、料理に砂糖やみりんで甘味を加えることです。欧米では料理を甘くすることはあまりなく、その代わりデザートにはたっぷりと砂糖を使います。外国のお菓子は甘すぎる、ということがよく言われますが、日本では料理もお菓子もほどほどに甘いのが好まれる、ということなのでしょう。
料理人としての観点から言うと、和食において甘味が重要なのは、まずひとつ、甘みが油脂のオルタナティブ(代役)になっているからではないかと思います。和食の最大の特徴は、甘さ云々以前に、油脂の使用量が極めて少ないことです。油脂は単にエネルギーであるだけでなく、料理の味わいにマイルドさやコクを与えてくれます。和食においてその役割を担うのは、油脂よりもむしろ砂糖などの甘味であり、加えて、だしのうま味もまたそうです。
もっとも、和食が昔から甘かったかと言うと、決してそんなことはありません。砂糖は貴重で高価な贅沢品であり、甘い料理が庶民の手に届くものになりはじめたのはせいぜい江戸時代末期以降。うなぎのタレや蕎麦つゆに甘味が加えられることが一般化し始めたのも、この時代からのようです。ただしそれもあくまで江戸をはじめとする都市部の町人文化であり、当時日本全体の人口のほとんどを占めていた農村にまで行き渡るのは、もっとずっと後の時代、ということになります。
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和食において甘味が重要なのには、もうひとつの理由があります。それは、調味において醤油が極めて重要なポジションを担っているからです。醤油は単に塩味の味付けを施すためだけのものではなく、むしろそのうま味や独特の風味が重要な調味料。料理に対して十分なうま味や風味を付与するために醤油を用いると、場合によってはどうしても塩分が強すぎになってしまうことがあります。
少量の「おかず」で大量の米を食べていた時代であれば、それは大した問題ではありませんでした。塩分が強め、つまりしょっぱいことは、大量の米を掻き込むにはむしろ好都合だからです。しかし、時代の流れの中で米を食べる量が徐々に減り、反対におかずの量が増えていくと、そうも言っていられなくなります。しょっぱすぎないおかずが歓迎されるけど、風味のための醤油はそうそう減らせない。そうなると、砂糖などの甘みでしょっぱさとのバランスを取ることが重要になっていきます。もちろん、甘みそのものに対する、ある種本能的な希求もあるでしょう。
「砂糖を加えたところで、醤油の量自体が変わらなければ、しょっぱいものはしょっぱいままなのでは?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。そんな方はとりあえず「すき焼き」を思い浮かべてみてください。すき焼きに砂糖を入れず、いつも通りの量の醤油だけを加えて作ったとしたら、おそらくそれは、しょっぱすぎてとてもじゃないけど食べられない味になるはずです。
ただしそこに、まんが日本昔ばなしのような、冗談みたいに山盛りのご飯があれば、少しだけ話は変わります。実は一度実際に試したことがあるのですが、一合強のご飯を食べるのに、50gの牛肉と野菜数片で十分でした。それはそれでなかなかおいしかったのですが、普段のすき焼きがもたらすご馳走感からは、あまりにも程遠いものでした。なんだか異世界に転生したかのような気分になりました。物好きな方は、ぜひ一度お試しください。
ちなみに、いきなりのネタバレですが、今回の一連のシリーズは最終的に「東西のすき焼き」の話に至る予定です。そのためにしばらくは、ここから大きく回り道をしていきます。急がば回れ。すき焼きというのは、なかなか一筋縄ではいかない料理なのです。
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以前にも触れた日本料理、すなわち貴族階級における饗応料理から発展した高級和食の世界では、比較的早い段階からこの問題は解決されていました。つまり、醤油の使用量は極限まで減らされ、その代わりに砂糖やみりん、そしてだしをふんだんに使用することで、単にご飯のお供ではない、それだけを食べる酒宴の料理が完成されていったのです。庶民の日常的な料理が甘くなっていく過程においては、豊かになっていく生活の中で、こういった高級料理のノウハウが取り入れられていったという面もあるでしょう。
実は日本料理の直近においては、醤油だけではなく甘味も減ってきています。ますますだしの重要性が増しているとも言えます。手元にある1974年刊行の茶懐石料理の本では、煮物の基本となる「八方だし」の、醤油・みりん・だしの割合が1:3:6となっています。料理をされる方ならお分かりでしょうが、これは相当甘い味付けです。現代において、このような味付けで炊き合わせを提供している料亭や割烹はほぼ無いのではないでしょうか。
僕は一度だけ、まさにこういう味付けの炊き合わせにお店で出会ったことがあります。最近の話です。それは割烹ではなく、東京の下町で古くから続くお寿司屋さんでした。レンコンなどの具材の一部が赤や緑の着色料で染められている見た目も含めて、僕が本でしか知らない半世紀以上前の懐石料理のそれでした。
おそらくかつて、日本料理店での修業も経た職人さんが持ち込んだレシピが、そのまま律儀に受け継がれてきたのでしょう。割烹であればメインコンテンツのひとつとして業界のトレンドと共にアップデートされたであろうそのスタイルが、街のお寿司屋さんの滅多に頼まれないであろうサイドディッシュとしては命脈を保ち続けていたわけです。以前にもお話しした「食文化周圏論」にも通じる話です。
正直その味は、僕にとっては決しておいしく感じられるものではありませんでした。しかしそこで偶然そんなものに出会えたことには、震えるほどの喜びを感じました。