2025.3.15
家庭料理と違う……? 日本料理の世界における「普通の醤油」とは
醤油と味噌① 濃口醤油と薄口醤油
僕が20代のころ修業した、ちょっと高級な和食店では、「濃口醤油」「薄口醤油」という言葉はほぼ使われていませんでした。では、ここでクエスチョンです。それらはその店では何と呼ばれていたでしょ〜か?
……ヒントが無さすぎて、少し難しかったかもしれません。答えは「ヤマサ」「ヒガシマル」です。つまり、使っていた醤油の銘柄が、そのまま呼称になっていたということです。当時僕は、何だかそういうのっていかにもプロっぽくてカッコいいな、と思っていました。なので、最初は自分もこの呼称を使うことが少し面映くもありましたが、すぐに慣れて自然に口に出せるようになりました。
後にわかったことですが、この呼び方は、別にその店に限ったものでもないようでした。多くの和食店、特に日本料理店では、ヤマサの濃口醤油とヒガシマルの薄口醤油が使われることが多く、同じように銘柄で呼ばれていることも少なくないようでした。数ある醤油の銘柄の中でなぜこの二つが選ばれていたのか、という話もなかなか面白いのですが、ここではとりあえず、そういうものなのだということで先に進めさせてください。
この二つの醤油のうち、日本料理店で使用頻度が高いのは、圧倒的にヒガシマルの方です。汁ものはもちろん、煮物、和え物、お浸しと、料理を色よく仕上げるためには欠かせません。じゃあヤマサはどうかと言うと、魚などの漬け焼きのタレや、あら煮、角煮などの濃い味の煮物が中心で、用途はかなり限定的。もっとも、刺身用に特別な醤油が用意されない場合は、ここもヤマサということにはなります。
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さてここで、「日本料理とは何か」というテーマに少し触れておいた方がいいかもしれません。本来なら本一冊でも足らないくらいのテーマなのでしょうが、ここではなるべく端折って要点だけをお伝えしておこうと思います。それでも少し遠回りにはなりますが、ここを押さえておくと、この後の話が理解しやすくなるはずです。
「日本料理」を辞書で引くと、「和食」と同義とされていることも多いようですが、少なくとも現代の料理人の世界では、この二つの言葉は明確に区別されています。もう少し正確に言うと、日本料理は和食の中のひとつのカテゴリーという位置付けです。
和食という大きなカテゴリーの中に、寿司や鰻、郷土料理、うどん・蕎麦、あるいは今やラーメンもそうなのかもしれませんが、とにかくいくつものカテゴリーがあり、それらの中で特に伝統的かつ高級なものが日本料理ということです。
もっと具体的に言うならば、料亭や割烹といった高級店で供される和食が日本料理、という認識。元を辿れば、奈良・平安の時代から長きにわたり京都を中心に発展してきた料理体系なので、「関西ルーツの高級料理」と説明されることもあります。
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もっとも、このあたりを明確に定義することは難しく、「江戸末期から関東大震災にかけては、むしろ江戸・東京が日本料理の中心だった」「いや、それすらも所詮は関西からの借り物であった」みたいなエキサイティングな(ヒヤヒヤするような)議論もありますが、その真偽の判定はとても僕の手には負えません。
しかし少なくとも現代において、高級な和食店の料理は、明らかに関西的であるということは間違いないと思います。 日本各地に日本料理店はありますが、その技術的基盤や料理の概要は、かなりの部分が共通です。言うなれば日本料理はナショナルブランドであり、標準語的です。それに対して、各地のローカル料理――つまり庶民的な家庭料理や居酒屋料理など――は、素材だけでなく調味料や味付けなども含めて、地方ごとの特色が色濃く出ます。つまり、方言のようなものです。
逆に言うと関西では、家庭や居酒屋の庶民的な料理と割烹などの高級料理にも、何かと共通項が多いということになります。もちろん食材のランクや手間のかけ方の差はあるにせよ、おおむね同一の系譜上にあるのです。うどん篇で、京都のごく大衆的な麺類食堂の料理はほぼ京料理である、というようなことを書きましたが、これはあながち比喩でも冗談でもありません。