よみタイ

西のうどん、東の蕎麦……「黒いつゆ」論争に新解釈を与えてみる

 このように関東と関西では、醤油の種類や色だけではない、明らかな味付けの「方針」の違いがあります。その違いはいったいどこから生まれたのでしょうか。
 まず前提として、関西ではうどんのつゆが蕎麦にも転用され、関東ではそれが逆になります。(実は歴史を遡ると一概にそうとも言えない部分があるのですが、話が果てしなくややこしくなるので、ここではいったん無視します。)その上で、うどんと蕎麦では、同じ麺類とはいえ食材としては完全に別物ということはあるでしょう。うどんは言うなれば「クセの無い淡白な食材」です。濃い味付けでも薄い味付けでもだいたい万能です。またうどんは蕎麦と違って麺自体に少し塩分が含まれます。つゆをお吸い物並みに薄くしてもおいしく食べられるのは、この要因もあるのではないでしょうか。
 対して蕎麦は、うどんよりずっと風味の強い食材で、むしろその独特な風味こそが蕎麦の魅力。概してこういう食材は、濃いめの味付けが合うものです。麺自体に塩分を含まないこともあって、味付けが薄いと素材に負けてしまうんですね。
 地域的な嗜好は確かにあると思います。関東の人は濃口醤油が好きで、それを主体にしたはっきりとした味付けを好む傾向があるのは間違いないでしょう。少なくとも関西の嗜好とは全く違います。近年は「味覚の関西化」により、その特徴も若干薄れつつあるようですが、伝統的な嗜好がそう簡単に失われるわけでもないはずです。

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 こういったことを背景にしつつ、関西〜西日本のうどんのつゆと関東のかけ蕎麦のつゆは、その概念そのものが違うのではないかと僕は捉えています。その違いを簡単に説明すると、うどんつゆはsoupだが、かけ蕎麦のつゆはsauceであるということになります。ソースと書きましたがもちろんウスターソースや中濃ソースのようなものではありません。あれは分類としてはsauceではなくseasoningです。この場合のソースとは、イタリアのパスタにおけるサルサポモドーロ、つまりトマトソースなんかをイメージしていただけるとわかりやすいかもしれません。
 うどん篇でも書きましたが、近畿や九州のうどんはあくまでつゆ=だし=“soup”が主役であり、うどんの麺はそれをおいしく食べるためのもの、みたいなところがあります。対して蕎麦は、あくまで蕎麦ありきであり、それにおいしく味付けするのがつゆに与えられた使命です。
 関西にももちろん蕎麦文化はありますが、歴史的には、もりそばのような「つけ蕎麦」ではなく、あくまで温かい汁に浸ったかけ蕎麦を中心に発展したそうです。それに対して江戸では、つけ蕎麦が中心でした。注意深い方は気づいているかもしれませんが、僕はここまでうどんのつゆは「うどんつゆ」、蕎麦は「蕎麦つゆ」ではなく「かけ蕎麦のつゆ」と書いてきました。どうしてかはすぐにおわかりですよね。「蕎麦つゆ」だとつける方のつゆになってしまうからです。
 何せそんなつけ蕎麦から派生したかけ蕎麦は、先に例に出した老舗もそうでしょうが、つけ蕎麦用と同じ「かえし(醤油やみりんをあらかじめ合わせて寝かせたもの)」を、つけ蕎麦の時より薄めに伸ばして、温め直した蕎麦にかけた“sauce”なのです。だから関東の人の多くは、蕎麦でもうどんでもつゆが絡んだ麺を啜った時にそれがおいしいかどうかを判断し、関西の人はつゆそのものをズズっと啜った時点でおいしさを判断する、みたいな無意識の行動があったりもするのかもしれません。その結果として、思わず冒頭のような不満が生じるのではないでしょうか。
 ここに来て言いますが、西日本の民である僕も、最初はそういう不満を心中で抱いたのは事実です。でもその違和感の成り立ちを理解して、僕はいつしか両方を楽しめるようになりました。

イラスト:森優
イラスト:森優

 最後に少し、どうでもいいようでいて実は大事かもしれない話をします。
 関西人の日々のうどんライフに欠かせないアイテムのひとつである「ヒガシマルうどんスープ」は、最近では関東のスーパーでも定番になりつつあると言います。(これも味覚の関西化現象でしょうか?)しかしこれ、西日本のスーパーでは「だし」のコーナーに、東日本では「つゆ」のコーナーに置かれているのだとか。
 もうひとつ、今回、蕎麦つゆ蕎麦つゆと何回も言っていますが、江戸以来の伝統的な呼び名は「つゆ」ではなく「汁」です。もりの汁は「辛汁」で、かけのつゆは「甘汁」。ツウを気取ってみたいときには是非ご活用ください。
 何せ、「だし」「つゆ」「汁」、全て共通語ですが、その概念は少なくとも関東と関西では微妙に異なる、というオマケの話でした。この件は、いつかまた深掘りするかもしれません。

次回は12/7(土)公開予定です。

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稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)の展開に尽力する。
2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。
Twitter @inadashunsukeなどで情報を発信し、「サイゼリヤ100%☆活用術」なども話題に。
著書に『おいしいもので できている』(リトルモア)、『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(柴田書店)、『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『キッチンが呼んでる!』(小学館)など。近著に『ミニマル料理』(柴田書店)、『個性を極めて使いこなす スパイス完全ガイド』(西東社)、『インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)、『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)。
近刊は『異国の味』(集英社)、『料理人という仕事』(筑摩書房)、『現代調理道具論』(講談社)。

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