2024.11.2
「名古屋の長崎ちゃんぽん」から考える……そのローカルフードは「かつての正統派」の末裔かも!?
日本の「おいしさ」の地域差に迫る連載。
前回は、名古屋のローカルフード、あんかけスパゲッティについてでした。
今回は、ご当地「ではない」場所で残るローカルフードから、その料理の本質が逆に浮き彫りになるかも……?というお話です。
ローカルフード周圏論③
民俗学者・柳田國男が提唱した「方言周圏論」という仮説があります。これは、かつて文化的中心地で話されていた言葉が時代と共に同心円上に伝わっていき、より古い形が外側に残る、という説です。例えば南九州と東北で共通の方言が、今は失われたかつての「京ことば」をルーツに持つものだった、というような例があります。
僕は、食べ物に関してもこれと似たような現象が起こることがあるのではないかと考えています。さすがに方言のように軌跡を辿ることは難しそうですが、ある地方で生まれた食べ物が別の地域にもたらされ、いつしか発祥地では廃れたり変化したりしたが、もたらされた地域ではそれが原型に近い形で残る、という現象が結構あるのではないかという話です。
前回まで長々と紹介した名古屋と沼津のあんかけスパゲッティの話は、まさにこの現象の、特にドラマティックな(と、個人的には強く感じている)エピソードです。今回はこれによく似た話をもうひとつしたいと思います。
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名古屋に〔T〕という長崎ちゃんぽんの専門店があります。創業は40年以上前で、名古屋におけるちゃんぽん専門店の草分けと言えます。僕が初めてここでちゃんぽんを食べたのは今から20年ほど前のことだったのですが、その時僕が感じたのは「強烈な懐かしさ」でした。
「あー! そうそう! ちゃんぽんってこういう食べ物だったよな!」
というのが、その時の僕の実感です。つまり子供の頃から食べ慣れていたちゃんぽんに久しぶりに出会った、という感覚でした。ただし僕は九州出身ではありますが、長崎ではなく鹿児島です。本場長崎の人がTのちゃんぽんに何を感じるかはまた少し違う可能性もあったわけですが、その話はまだここではいったん置いておきます。
その「懐かしさ」は、誤解を覚悟であえて言うならば「だらしなさ」とも言えました。そう言うとまるで貶しているようにも受け取られかねませんが、決してそうではありません。コシの無いやわやわの太麺と、シャキシャキ感はあまり意識されていないと思われる野菜が、渾然一体となったおいしさです。元のスープ自体は極めて単純なものなのでしょうが、ざっくり炒められた後にぐずぐずと煮込まれた野菜、肉、蒲鉾の旨味がそこに漏れ出ることで、それはぼんやりと濁り、混沌とした味わいが現出していました。
……ヤバいですね。ますます貶しているようにしか見えません。しかし違うのです。それはそうであるが故にものすごくおいしいのです。だから僕は、時々無性に食べたくなりますし、そうなったらもう矢も盾もたまらなくなります。
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長崎に旅行した人が地元の人に「本場のちゃんぽんを食べに行きたいのですが、一番おいしいちゃんぽんはどこですか?」と聞いたら「リンガーハット」という答えが返ってくる、という話があります。ネットではある種の「ネタ」のように繰り返される話ですが、僕は単なるネタとは思いません。僕がこの話を初めて聞いたのは30年以上前、長崎出身の友人からでした。「最近長崎じゃみんなそう言うとうよ」と、彼は言い切っていました。
リンガーハットのちゃんぽんは「だらしなさ」とは無縁です。程よくコシのある太麺、あっさりしているけれどまろやかでコクのあるスープ、それはどこか、現代におけるラーメンという食べ物の進化ともパラレルなように見えます。そしてシャキシャキとした食感を残して炒められた新鮮な野菜は、ラーメンには無いヘルシー感も演出します。実に現代的かつ完成度の高いおいしさだと思います。
僕もそんなリンガーハットのちゃんぽんは好きですが、同時に「これはちゃんぽんではなく、むしろラーメンの一種なのではないか」という違和感もずっと持っていました。それに対してTの「だらしない」ちゃんぽんは、そういう違和感を全く感じさせないちゃんぽんでした。
しかし、レビューサイトで見るTの評価は、決して芳しいものばかりではありません。「本場とは異なるちゃんぽん」「名古屋で独自に変化したちゃんぽん」という評は少なくなく、そしてそういう見立てのものは概して、味そのものも低く評価していました。これはどこか、沼津のあんかけスパゲッティ評にも通じるものがあります。
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