よみタイ

弁松の赤飯弁当、鮒佐の佃煮……孤高の「東京エスニック」を味わう

博覧強記の料理人、美味の迷宮を東奔西走す!
日本の「おいしさ」の地域差に迫る短期集中連載。

初回から3回にわたり、好評発売中の新刊『異国の味』最終章にして特別編「東京エスニック」を特別公開いたします。
「東京エスニック」締めくくりとなる今回は、老舗の名店で味わえる「極北の東の味」について。

 僕はここまで東京を「日本一のローカルフード天国」として扱ってきました。おそらくですが、そもそもこれに納得行かない東京人は少なくないと思います。確かに東京に「ローカル」の文字は似合いません。そういう人は、日本の味を関西が統一した、という歴史観にも異を唱えるでしょう。むしろ「日本各地が相互に影響を与え合っており、中でも京・大阪連合と東京が食文化の二大発信地である」という認識かもしれません。
 僕自身はこの考え自体を全く否定するつもりはありません。それは単に見方の角度の違いだからです。ただしひとつ言えることは、東京の人は東京の食べ物がローカルフードだなんて思っていないがために、様々な独特の食文化を当たり前のものとして見過ごしている、ということ。つまり油断しているのです。
 幕の内弁当の焼き魚が「まぐろのつけ焼き」であることも、西京焼きの味噌が西京味噌ではなくおそらく信州味噌で、しかも黄色く着色されていることも、豚汁の豚がそのまま豚もつに置き換わったような「煮込み」がどこにでもあることも、「海苔巻き」に干瓢だけが入っていることも、きつね蕎麦やたぬき蕎麦にナルトが載っていることも、たぶん「当たり前」と思っている。

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 もちろん全国各地に、地元の人にとっての当たり前が他所から見ると変わっている、ということはよくありますが、往々にしてそこの人々はそれに薄々気付いています。地方ならではの食文化をエンターテインメント的に扱うテレビ番組などでは、スタッフに「それはこの地方独特です」と指摘された地元の人が「え〜、そんなわけない!」と驚いてみせるシーンがよく出てきますが、その驚き方はいかにも大袈裟に見えます。多かれ少なかれ、「テレビ的演出」が施されていることは明らかでしょう。しかし東京の人は、東京はローカルではないと油断しているから、なかなかそれに気付きません。そして東京は、そんなローカルな(と、あえて言いますが)食文化の宝庫です。
「油断している」のは決して悪いことではないと思っています。なぜなら、それが自然な形で、生活に密着したまま保存されることになるからです。名物は名前を与えられて初めて名物と認識されて、そうなると今度は名物としてのニーズに応えなければいけなくなります。全国にそういう「外からの目を意識しすぎた名物」がたくさんあり、地元ならではだったはずのものが、地元の生活から離れて一人歩きを始め、変容していきます。東京エスニックは無自覚だからこそ良いのです。異人としてそれを発見して楽しむ僕のような立場からは特に、それはずっとそのままでいてほしい。

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 東京に〔弁松〕という老舗の仕出し屋さんがあります。煮物中心のおかずと、白飯や赤飯(!)などを組み合わせたお弁当が人気で、デパ地下でも売られています。「これっくらいの、おべんと箱に……」という誰もが知るお弁当の歌がありますが、歌詞をよく思い出すと、現代のお弁当とはずいぶんかけ離れた内容です。牛蒡を始めとする根菜や椎茸は、おそらく煮物でしょう。そこに刻み生姜、そしてご飯にはごま塩が振られます。弁松のお弁当は、言わばこれを豪華にした内容と言えるでしょう。そこには卵焼き、焼き魚、煮豆、といった「かつての贅沢品」が加わっています。
 しかし何しろそれは、西からやってきた自分にとっては驚きの味です。蓋を取ったらまず、茶色い。色の印象の通り、しっかりした醤油味が基調です。そしてそれ以上に、こってりと甘い。たっぷり入った甘い煮豆が箸休めになる程、おかずの大半が甘いのです。かと思えば、刻み生姜や焼き魚は割とダイレクトにしょっぱい。「いったい何がどうなってるのだ?」と少々混乱しながら食べ進めることになります。
 ただ確実に言えることは、(これは少々料理人目線もあるかもしれませんが)このお弁当がとにかく丁寧に、誠実に、そして高い技術で作られているということです。おいそれと真似できるものではありません。特に里芋の煮物は、あれだけを折り詰めにぎっしり詰めて売ってほしいくらいです。
 だからなのでしょうか。このお弁当の味は僕にとって完全な異文化で、正直いまだに自分にとって心からおいしいのかどうかはっきりわからないまま、それでも時々無性に食べたくなります。ミールスがおいしいのかどうかもよくわからないまま食べ続けていた頃の感覚と、どこか重なります。

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 この弁松のお弁当は、典型的な東京エスニックだと思います。実際に「東京の昔ながらの味」というようなことも謳われています。リアルな庶民の味かどうかは僕にはよくわかりません。むしろ、かつては貴重だった砂糖がたっぷり使われ、贅沢な動物性食材も盛り込まれた、料理屋ならではのちょっと特別な味、ということだったのではないかと思っています。
 この弁松に対しては、東京出身者でも良い意味で意見が分かれるようです。ある人は「普段は絶対に食べられない味だから新鮮」と言いますし、また別の人は「おばあちゃんが作ってくれる煮物にそっくりで自分にとっては慣れ親しんだほっとする味」と言います。当たり前ですが、東京とて一枚岩ではないのですね。
 とにかく弁松は孤高の存在です。人によって捉え方はどうあれ、人気のお弁当であることは間違いありませんが、だからと言って、僕が知る限り似たような味と内容のお弁当を作っているところはありません。こういうものを求めるマーケット自体が大きくないのか、弁松の技術が凄すぎてとても真似できないのか。おそらくその両方なのでしょう。

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稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)の展開に尽力する。
2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。
Twitter @inadashunsukeなどで情報を発信し、「サイゼリヤ100%☆活用術」なども話題に。
著書に『おいしいもので できている』(リトルモア)、『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(柴田書店)、『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『キッチンが呼んでる!』(小学館)など。近著に『ミニマル料理』(柴田書店)、『個性を極めて使いこなす スパイス完全ガイド』(西東社)、『インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)、『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)。
近刊は『異国の味』(集英社)、『料理人という仕事』(筑摩書房)、『現代調理道具論』(講談社)。

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