2025.4.26
動物パートナーを喪って「親が死ぬよりも哀しかった」【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡9】
受けいれがたい別れがやってきたとき、人はどのようにその後を生きていくのか――。
仕事仲間であり友人でもある二人が、東京とパリを結び、喪失と再生について言葉を交わす往復書簡。
前回の小林さんのお手紙へ、猫沢エミさんがお返事します。
第9便 幸せであるように心で祈ってる
小林さん、こんにちは。少し前に風邪でふせっていると聞いて、昨年暮れのアマゾン行きの疲れや、帰国後の忙しさがいっぺんに押し寄せたんじゃないかと心配していましたが、さすが数日で復活したようですね。私は年明けすぐに引いた風邪が治るのに1ヶ月もかかってしまい、やっぱり歳なのかなあと思っていましたが、そもそも小林さんみたいに万全な健康管理をしていたら、きっともっと早く治るんだろうなって。人間、わかっていてもなかなか変えられない生き物……なんて逃げてみたりして(笑)。
お返事ありがとうございました。この間の私からの返信は、確かに小林さんのアマゾン熱が、なぜか私の宇宙熱に飛び火して、それこそ銀河の彼方まで話が飛んで行っちゃいましたね。この往復書簡を始めてから、時を問わず、ふと〝生と死〟について考えを巡らせることが多くなったのですが「ぶっちゃけ答えが出ない」というのが今のところ、正直な感想です。そもそも答えなどあるのかどうかもわからない大きな命題を前に、私たちはまるでドン・キホーテのように、風車に向かって奇声を上げているだけなんじゃないかと思うこともしばしばです。おそらく人間の創生より繰り返し続けられてきたであろう、この壮大なテーマの考察については、深い思考の果てに、大なり小なりの「答えが見つからなさすぎて疲れる」という焦燥感がつきまとうように思います。
先日、我々が主宰するインターネットサロン「バー猫林」で、小林さんが「歳を重ねると、辛いことや悲しいことも〝切ない〟っていう感情に置き換えられていって、その切なさを感じることがちょっと気持ちよくなってくる」というようなことをおっしゃっていましたが、それを実感した瞬間がありました。
ある日の夕方、明るい時間にシャワーを浴びている時、ふとまた〝生と死〟の考察を始めて、「答えが見つからなさすぎて疲れる」の焦燥感に包まれました。午後の淡い光がストライプとなって、窓からバスルームに差し込んでいるのを見た瞬間、とても穏やかな恍惚感とでも言いましょうか、なんともいえない甘やかな気持ちが湧き上がり、小林さんが言っていた〝気持ちよくなってくる〟ってこのことか!と思ったのです。それと同時に、この不思議な恍惚感はよく知っているものだと気づくのです。書簡の第3便、私からの返信で「イオの看取りの最中に、現実の状況とは相反して突然、説明のつかない多幸感に包まれることがある」と書きましたが、これがまさに小林さんのおっしゃる〝気持ちよくなってくる〟なのかもしれないなと。そして、イオの看取りの期間は切なさ MAXでしたから、多幸感も比例してMAX感じていたのかもしれません。
歳を重ねること=痛みを知ること、ひいては切なさが増していくことなのだとしたら、同時に〝気持ちよくなってくる〟は、救いのようにも感じられます。切なくなって、切なくなりきって、いつか天にも上るような恍惚感に包まれて、みんな本当に天に召されていくのかもしれない。そうであったら「死」の色は黒ではなくて、薔薇色かもしれませんよね。あ、これって小林さんのお手紙にあった質問「猫沢さんは自分が死ぬときをイメージしたりしますか?」の答えなのかな。どちらかというと私の理想のイメージなのかもしれません。もう100万回くらい考えましたが、未だに最後の一瞬は、画として像を結ばないのです。もしくは自分にとって、これからも理想の最後の瞬間を探していきたいから、今はあえて想像したくないのかもしれません。
記事が続きます
小林さんが『つまぼく』を出版された後、「人によっては『そんな短期間で深い悲しみを他人事のように物語にするなんてどうかしている』と思うのも仕方のないことなのかも」と感じた、とお手紙にありましたが、その際の複雑な気持ち、とてもよくわかります。私も『猫と生きる。』(復刊版)はイオの死からたった半年後に、続く『イオビエ』は9ヶ月後に出版しましたので、小林さんの言葉を借りるなら、まさに「どうかしていた」のかもしれません。今振り返ると、どうしてあの時「今は書けない」と言えなかったのか、もしくは言わなかったのか?と不思議に思います。激しい虚無感と、あえて後悔するために、これまでの見送りを振り返って粗探しするかのような自責の念に襲われながら、それでも言葉にした気持ちは、やはり書簡の第3便に(それでもやっぱり、私にとっては書くことが必要だったと思います)とカッコ書きした一文の通りですが、なんのために書くことが必要だったのか?と、今あらためて考えると、小林さんも書いていらっしゃったように、書くことによって自分自身を救わなければならなかった、それに尽きるのです。
そこで思うのが、この前のお手紙の「第8便 哀しくてもおなかは空くし」の表題です(拙著タイトルをご使用いただき、ありがとうございます。笑)。
〝何がトリガーになるかわからないから、心にピタッと蓋をして、悲しみの感情を抑え込んでいた〟小林さんは、あの頃そうして感情が湧かない水平線の上に佇んでいたのですね。それでも朝はやってきて、仕事や家事など人間としての社会活動が当たり前のように押し寄せてくるのを、同じく水平線の上に佇んでいた頃の私は「冗談みたいだな」と、冷めた感情で眺めていました。人間だからこそ対峙している、愛する者の死という最大の哲学期にいる私の心と、人間だからこそ私の体が参加しなくてはいけない社会活動という無慈悲なサイクルに、ものすごい隔たりを感じたのですよね。心はまるで世捨て人みたいに「ほっといてくれ! それどころじゃないんだよ!」って叫んでいるんですけど、現実は洗濯して、買い物に行って、糸がよく引くように納豆をかき回したりしている、いつもの自分がいるわけです。その滑稽にも思える日常の行動が、少しずつ世捨て人の自分を現実世界へと引き戻してくれるんでしょうね。書くことが生業の我々にとっては、この世に戻ってくるために、納豆をかき回すのと同じ立ち位置で、書くことが必要だったように思うのです。嫌でもやってきてしまう明日という時間を生きるために、残された者は皆、何某かの納豆をかき回しているのではないでしょうか。そうして我々が書いた本は、様々な方がそれぞれ違った背景で読まれているので、異を唱える方もいて当然かもしれません。でも、確実に共感した、癒されたと言ってくださる方もいらっしゃるんですよね。そして、小林さんは『つまぼく』での「少し俯瞰した位置から眺めている客観性」に対して、「僕の『人間性』というものへの違和感を与えるものがあった」と書かれていましたが、私は、そのほんの少しの距離感に優しさと労りを感じて癒されたであろう、たくさんの読者のうちのひとりでした。苦しみを潜り抜けてきた思いを書くことで書き手も救われ、読み手も癒される。そうして我々が手のうちで愛して飛び立って行った存在も、誰かの心の中で〝魂のDNA〟に姿を変えて、受け継がれていくのかな、と。
記事が続きます
小林さんが抱かれた罪悪感——お腹が空くという生きるために備わっている当たり前の欲望にすら後ろめたさを感じるという、残された自分だけが幸せになってはいけないような気持ち。若くして旦那さまを見送った友人も、同じことを言っていたのを思い出しました。ここで突然ですが、ありがとう小林さん。罪悪感を詳らかにすることが、どれほど心の柔らかい部分に傷をつけるのかわかっているつもりです。だから、心を開いて話してくださったことに、とても感謝しています。そんな純粋な勇気に対して話すのが本当にお恥ずかしいのですが、私の場合、対人間では見送ったのが、あの猫沢家の面々(両親)だったので、哀しみ他、様々な感情が定型外すぎて、どうしたって罪悪感を覚えることができませんでした(笑)。残された子供たちに罪悪感をひとつも与えずに逝ける両親、すげえな!と、間違った尊敬の念を抱いてしまうほどに。罪悪感が、愛や思いやりから生まれる人間ならではの美しい感情なのだとしたら、それを抱けないのは寂しいことだなと、小林さんの告白を眩しく感じたのも事実です。
そしてイオに関しては、言葉で意思確認できない動物の、看取りの様々な段階での人間(飼い主)の判断による決定が、果たして彼らにとって、本当に最良で納得のいくものだったのか?という疑問の答えが永遠に得られないことから生まれた罪悪感がありました。もちろん私の場合は、安楽死を選ばざるを得なかった事実も踏まえての……って、一体なんだ!? 人間と動物の命の重さに違いはないと信じていますが、それにしたって人間のくせしてこんなにカラッとした死の残り香を漂わせるうちの一族、おかしい! そしてやっぱり私にとっては、イオの死の方がずっと特別なものであるという隠せない事実に、あらためて驚きます。動物パートナーの死に際して、「親が死ぬよりも哀しかった」という声はタブーのようでありつつ、実は多く聞かれる声でもあり、長く考え続けているテーマのひとつです。
記事が続きます