2025.1.25
熱帯雨林の中で溶けていった、生への執着と時間の感覚【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡6】
受けいれがたい別れがやってきたとき、人はどのようにその後を生きていくのか――。
仕事仲間であり友人でもある二人が、東京とパリを結び、喪失と再生について言葉を交わす往復書簡。
前回の猫沢エミさんのお便りに、アマゾン滞在中の小林孝延さんがお返事します。
第6便 生命のボート
こんばんは。猫沢さん今月も手紙をありがとう。じつは今、南米北部のガイアナに広がるアマゾン地帯を流れるエセキボリバーという川のほとりにいます。このかっこいい書き出しが欲しくて無理して電気もろくに無いところでMacのキーボードを叩いていると言っても過言ではありません。
この地に踏み込むまで日本を出てからかれこれ40時間以上を費やしました。羽田からニューヨークを経由してガイアナの首都ジョージタウンへ。そこからセスナ機でスリナムとの国境に近いクルクカリという集落まで飛び、さらに今度はアルミ製の小さなボートで川を遡ること2時間。ようやく到着したこの地へ遠路はるばるやってきた目的は魚釣りです。バカみたいでしょ? でも、子供の頃から百科事典やテレビのドキュメンタリー番組で食い入るように見ていた人喰いナマズや電気ウナギなど謎の巨大魚が現実に生息している場所なのです。ついに来た!!
現地に到着するまではもっと光が届かないような鬱蒼とした深い森を想像してたのですが、実際には川沿いの森は開けていて明るく、少し拍子抜けしました。でも、森の奥から地響きのように聞こえてくるハウリングモンキーの唸り声や、オオカワウソが威嚇のためにあげる叫び声、水中から聞こえるドラムフィッシュのベース音のような振動など、全方位から重層的に聞こえてくる「命の音」を感じてちょっと震えてしまいました。
そうそう、猫沢さんからの手紙にあったカレーの話に繋がりますが、こっちでのご飯はほとんどカレー的なものです。ガイアナはもともと英国領で、国民の3割がインド系だとか。そのせいなのか、だいたい鶏肉か魚をスパイスで煮込んだものを食べています。あとは魚の揚げたやつとキャッサバ芋(これまた英国食文化フィッシュ&チップスからきているのか?)。ここに来るまで食べ物にはまったく期待していなかったから、むしろ、カレー好きの僕にとっては十分満足できるレベルのものです。ちなみに僕の得意料理はチキンカレーで、子供たちに「我が家の味ってなに?」って聞くと「父のチキンカレー」と答えるほど。もう何十年も作り続けている秘伝の味です。家庭の味がインドカレーって、知らない人が聞いたらお父さんインド人?って思いますよね。
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さて、たしか第4便のお手紙に「生きていることの延長線上にある死」と書いたかと思うのですが、この手紙を書いたときにはまだ自分でもぼんやりとしていた「死」というものの輪郭が、今、熱帯雨林の川べりで、これまでより明確になったような気がします。
ジャングルって生命が怒濤のように渦巻いているんですよね。夜、懐中電灯を照らすと一気に蚊や蛾やアリやなんかわからん虫たちが何千匹とたかってきます(虫が苦手な人はたぶんこの記述だけで絶対に行きたくないと思うでしょうね)。その虫を食べにカエルやヤモリ、コウモリが集まってきて、そのまわりには人間が家畜として育てている鶏や七面鳥が。そして、それを狙ってジャガーが息をひそめています。目の前であからさまに食物連鎖が繰り広げられているのです。生命が生まれては死んで連鎖していく世界を目の当たりにすると、そもそも「生」と「死」って同じことなんじゃないか?というような突拍子もない考えに至りました。つまり、なにかの死を糧にして別のなにかが生きていく。個々の生命で考えるのはナンセンスで、森全体が生きていると考えれば、その中の個々の命は細胞のようなもので、生まれては死んで新陳代謝を繰り返しながら母体となる森を育てている。生が死を内包しているというか……。
まさにいただいたお手紙にあった「そんなわけで、私が死について考えるとき『私という一個人の生命体としての死』と『私を含む、宇宙全体の生命体としての死』という二つの概念が存在していると常に感じる」ということを今、僕もジャングルという生命体を目の当たりにして感じています。
僕をガイドしてくれている現地人のマークはフィッシングガイドを生業にする以前はこの川の漁師でした。昨日のことなのですが、ボートで川を下っていると、パドルを握っていたマークが突然船から川に飛び込んだのです! え? 一瞬、僕はなにが起きたのか理解することができず呆然とその様子を見守っていました。財布かなにか川に落としたのかな?なんてことを思いながら。でも思えば、ここでは財布は必要ありません。買い物をする場所なんてありませんから。そしてどのくらい経ったでしょう。水中からざばーーーーんとマークが浮かび上がって顔を出してきたとき、その両腕にでっかいカメが抱えられていました。オオヨコクビガメ、アマゾン流域に住む巨大な、絶滅危惧種にも指定されているカメです。そのとき僕は水面の反射を抑えて水中の様子が少しでも見えるように偏光サングラスをかけていましたが、カメの姿なんてもちろん見えませんでした。裸眼のマークはいったいどうやって進む船の上から水中のカメを発見したのでしょう。そして泳ぎながら抱きかかえることができるなんて……。重さ数十キロはある巨大カメです。紛れもなく人間が自然と一体となって連鎖している世界がそこにありました。
自然環境を語るとき、なぜか人間だけが特別扱いされ、その連鎖の輪から外されて考えられがちですが、実際には人間もしっかりと自然界の一部であるという事実を改めて感じました。川沿いにあるマークの家を訪ねると、彼の家族は電気もガスも水道もない森を切り拓いた場所に、果樹を植え、鶏と犬を飼い、半自給自足的な暮らしをしていました。その様子に目を見張る僕たちに、マークの父親は薪割りをする手を止めて「自分たちはこの暮らしを2600年も前からずっとこの地で続けている」と胸を張ったのです。
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すみません、気がついたらまるで熱帯のような熱さで語り始めてしまいました。
本当に不思議なんですがボートで川に浮かんでぼんやり森を眺めていると、なんだか生きることへの執着というか、社会と繋がりをもつ人としての価値みたいなものがぽろぽろと剥がれ落ちていって、そのうちどうでもよくなってくるんですよね。そしてだんだん時間の感覚がおかしくなってきて、時間から支配されることがなくなると「過去」と「未来」の概念が希薄になってくる。そうなると「死」への恐怖もなくなっていく、というかそもそも「死」があることを意識しないで「生」を生きることになる。もちろん実際には僕はそこまでの境地には至ってはいませんが、そんな世界が実在していることを感じました(いや実はそんな哲学的なことではなく、ただ永遠に魚釣りをして生きていたいという本能が目覚めてしまっただけかもしれませんが)。
なんかアマゾンにやられちゃってますかね。きっとそのうち夢から覚めて何事もなかったように東京の日常に戻るのでしょうが、今は少しだけ大きな「命」という観点で生と死について考えてもいいのかなと思っています。
以前読んだ五木寛之さんの対談本の中で、免疫学者で作家の多田富雄さんがおっしゃっていたことなのですが、〝われわれの体の中では毎日、毎秒、何百万という細胞が死んでいて死ぬと同時に何百万という細胞が新しく生まれている。そのときに死なない細胞ができたらどうなるか? 死なない細胞が増えたらどうなるのか?というとそれがガンだ〟と。
この言葉は衝撃的でした。ものすごく矛盾を孕んでいるように聞こえませんか? 細胞は死ぬことで生まれて生きながらえることができる。しかし一方で、死なない細胞が増えると死んでしまうなんて。まさに死ぬことが生で、生きることが死である。
生命の中に森があるのか、森の中に生命があるのか。はたまたそれを宇宙と呼ぶのか。ということは僕の中には宇宙があるのか……。つまり、おれがあんたで、あんたがおれで、なのです(なんの話だよ)。この話ってなんかロマネスコみたいですね。フラクタル構造。ちなみに僕はロマネスコを料理した経験はないです。猫沢さんはある?
細胞の話を書いていたらふと思うことがありました。猫沢さんもお母様のことについてお手紙で触れられていましたが、僕は母親がまだまだ健康なうちから母が死ぬことを極度に恐れていました。できることならば父親が先に逝ってほしい(おい!)と不謹慎にも思っていました。しかし、いざ両親の死を立て続けに見送った今、なぜか思い出すのは父親のことばかりで、母親のことは普段特に意識しないというか、むしろもう会えない存在であるという認識があまりないのですよね。これはもしかしたら僕は最初から母親の一部であり、その死を通して母は僕の生の中に内包されたのではないのかなと。決して僕が薄情なわけではなく、細胞レベルでは僕の中に生きながらえているのだろうと。そして、この説に準じていうならば、たとえば僕にとっての亡き妻であったり父親にはそれほどまでの同一性を感じないぶん、逆に自分の脳の中にある記憶を手繰り寄せることになる。そしてそれを手放さないぞという意志が働いて、一層強い残像としていつまでも存在しているのではないのかなと。
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