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出会って20年……今、それぞれの喪失を経て言葉を交わすということ 【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡1】

 ところがそのカーテンは、意外と早く開くことになります。2023年10月にご著書『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(風鳴舎)《以下、『ツマボク』と省略》が出版されて読ませていただいたところ、小林さんの笑顔は、ご自身と、そして小林さんと同じように人生の抗えない哀しみと向き合う人へのセーフティーゾーンだったのかと腑に落ちたのです。
 そして、おなじく命を扱った物語、拙著『猫と生きる。』の真逆のアプローチと、それを紡いだ私自身の激しさ、読む方への思いやりのなさに気づいたのです。辰巳出版より2013年に出版され、その後絶版となっていた『猫と生きる。』を扶桑社から復刊してみませんか?と提案してくださったのは、他でもない小林さんでした。当時私は、餓死寸前のところを保護した老女猫・イオを介護している最中で、お話をいただいた時はイオも元気でしたが、それからほんのひと月もたたないうちに、治療の手立てがない扁平上皮がんであることがわかり、たった1ヶ月半であの世に召されてしまいました。

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 人生は、ある日突然風が吹いて、それまでの景色を一変してしまうもの。だから、『猫と生きる。』の復刊にあたり、イオの死について加筆せねばならなくなったのは、人生における可能性のうちの一つが現実化した――ただ、それだけのことでもありました。もちろん、当時はそんな乾いた思考、できるはずがありませんでしたけど。
 イオの死から3日後、辰巳出版での『猫と生きる。』の装幀を手がけてくれたグラフィックデザイナーの真舘嘉浩さんが亡くなりました。コロナ禍で数年会わないうちに、私のいちばんの親友でもあった真舘さんが病に冒されていただなんて。
 立て続けにふたつの死に見舞われた私の心は、もう限界でした。ところが限界域でふと顔を上げた時、薫さんの命を抱いた小林さん、イオ、そして真舘さんが完全にひとつの輪になって、『猫と生きる。』をもう一度、書かねばならない理由として浮かび上がったのです。そうして、ふたつの死から数ヶ月後という、まだまだ何もかもが生々しい時期に、自分を追い詰めるかのごとく執筆に向かうわけですが、復刊された『猫と生きる。』には真っ向から哀しみと向き合う激しさがあり、これは、当時の自分そのままだと感じました。
 哀しみの乗り越え方、表し方は、人それぞれで、どんな姿も尊いものだと思いますし、実際にこの本でカタルシスを得たという方も多くいらっしゃって、ありがたいことでした。でも『ツマボク』を読んだとき、なぜこの優しい視点が私には持てなかったのか、と当時の自分の傷み具合にハッとしたのと同時に、何もかもをつまびらかにすればいいものではなく、共感という糸で繋がれて、同じ痛みを著者と読者が共有する1冊の本の世界にも、正解を求めないセーフティーゾーンがあってもいいのだと気づいたのです。小林さんの『ツマボク』は、大切な存在を亡くしたことのある読者を決して傷つけない、優しさに満ちていました。そして、私たちが酒を酌み交わしていたあの頃、小林さんがガラス越しにたたえていた、あのすこし疲れた微笑みこそ、『ツマボク』全編に漂う匂いでもありました。

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 話がすこし変わりますが、私がイオの見送り後に苦しんだのは、理由がなんであれ安楽死という選択をし、それによって彼女はこの世を離れたという事実でした。彼女を苦しませずに逝かせるには、これしかなかったという現実に即した納得とは関係なく、神さまでもないのに私がイオの死に手を加えたという、生き物としての抗えない罪悪感は、正直今も拭えずにいるのです。後悔など一つもしていないのに、なぜ罪悪感が残るのか。これは、どんなに心を込めて大切な存在を見送っても、かならずなにがしかの後悔が残ることと繋がっているように思います。
 以前、いつものようにふたりで飲んでいた夜、小林さんがいつになく酔っ払って、薫さんの見送りの日々を振り返りながら「俺は、冷たい人間なのかもしれないなあ」と呟いたのを、すごく印象的に覚えています。あの時、なぜだか〝そう考えてしまう感じ、わかる〟と思ったことも。人の痛みがわかるどころの話ではない、これまでの小林さんの人生。それによって生まれた〝こばへんスマイル〟とでも名付けたい、優しいセーフティーゾーンを持つ小林さんが、なぜご自分を冷たい人間だと思ったのか。まずはそこから聞いてみたいと思います。

 いくらでもこういう話、しようと思えばする時間はあったのにね(笑)。でも、むしろパリと東京くらい離れて交わす書簡だからこそ、話せる心の内ってあるのかも。

 あ、東の空のブルーが淡い色に変わってきましたよ。緯度の高いパリの夏の夜は、深く短いのです。東京はもうすっかり太陽が昇って、蝉がみんみん鳴いて、とても暑いのでしょうね。あの耳を刺すような鳴き声も、まったりと肌に絡みついてくる湿度も、目を閉じればすぐに体感としてよみがえります。首のうしろを冷やして、水分をよく摂って、健やかにお過ごしくださいね。近頃、猫の新メンバーが増えて、ますます賑やかになった〝こばごろう王国〟のみなさまにもBisous(ビズ/キス)を。

 ヴァカンスシーズンに入ったばかり、7月のパリより
 猫沢エミ

追伸:私は1〜2週間に1回、韓国系スーパーへ行って、和食づくりに必要な食材を買っているのですが、日本の青ネギが意外とお安く買えるので(とはいえ、昨今の円安でなんでも高く感じますが。笑)きざんで冷凍保存しています。こんなふうにパリでネギをきざんでいると「なんだ。私の基本は、東京にいた時と変わらないじゃない」って思うんですよね。

次回、小林孝延さんからの返信は9/28(土)公開予定です。

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猫沢エミ

ねこざわ・えみ
ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』『イオビエ』『猫沢家の一族』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。

Instagram:@necozawaemi

小林孝延

こばやし・たかのぶ
編集者。『天然生活』『ESSE』など女性誌の編集長を歴任後、出版社役員を経て2024年3月に独立。インスタグラムに投稿したなかなか人馴れしない保護犬福と闘病する妻そして家族との絆のストーリーが話題になり2023年10月にそれらの内容をまとめた書籍『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(風鳴舎)を発表。連載「とーさんの保護犬日記」(朝日新聞SIPPO)、「犬と猫と僕(人間)の徒然なる日常」(福井新聞fu)。現在は元保護犬1+元野良猫4と暮らす。

Instagram:@takanobu_koba

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