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「桃源郷・北朝鮮」の光と影 ~作家・万城目学が観た『愛の不時着』~ 

ドラマで描かれる北朝鮮の「明るさ」

 このコメディー部分における大成功、その裏返しと言っていいだろう。
 どこかファンタジックにすら描かれる北朝鮮の「明るさ」が、私はときどき気になった。

 9年前、私が北朝鮮を訪れた翌月、金正日が死去した。その後、跡を継いだ金正恩がどう平壌を変えたのかわからない。私が知る北朝鮮は金正日時代のものであり、夕刻に降り立った平壌国際空港は、昭和の時代の夏休み、はじめて家族旅行で訪れた古びた先代の宮古空港の記憶が不意に蘇るほど、暗く、不気味な雰囲気が充満していた。
 ゆえに、ガラス張りの空港がドラマ内で登場するたび、「本物はこんなオシャレじゃない!」と心でツッコんでいたら、実は5年前に平壌国際空港はリニューアルされ、まさにドラマに登場するガラス張りのおしゃれ建物に生まれ変わっていたことをドラマ視聴終了後に知る。
 当然、タイムラグは発生する。
 平壌のあちこちで見かけた、道路工事を人力で対処させられている北朝鮮の軍人の赤い頬、あのメイクでは出せない、ベテラン農業従事者のそれに似た日焼けの肌感は、今も変わっていないだろう。軍人の戦闘服は、あんなおろし立てのツヤは保っていないだろう。彼らは総じてもっと痩せているだろう。でも、9年前は一度も見かけなかった街角でスマホを持つ通行人は、今ならいくらでもいそうである。
 
 あくまでも、古い知識にもとづく指摘と思って聞いていただきたい。
 私が訪れた平壌は、確かに予想をはるかにしのぐ都会だった。車もたくさん通っていた。青い制服の婦人警官が交通整理をしていた。だが、あんなに光にあふれた街、いわゆる「普通の都会」だっただろうか。ク・スンジュンがユン・セリと自由にホテルの外を散歩するシーン、公安らしき人間に呼び止められはするけれど、北朝鮮を甘く描きすぎではないか。統治者が代替わりしようとも、北朝鮮が世界最高レベルの警察国家であることに変わりはない。私があの街に感じた、目には見えぬ裏側に圧倒的な暗さが閉じこめられている雰囲気――、それをあのドラマに登場する平壌から感じ取ることはなかった。

ガラス張りの平壌国際空港  画像:PIXTA
ガラス張りの平壌国際空港  画像:PIXTA

 9年前、ドラマでリ・ジョンヒョクが暮らす開城ケソンにも短い時間だけ観光で訪れたが(平壌から板門店に向かう途中にある)、古い劇場のような建物の前に大勢の人がたむろしていて、その前をバスで通り過ぎたときの印象が忘れられない。平壌とはまったく違う人々の服装、顔つきがそこにあった。平壌は街そのものがエリートとその家族のみが住める「富の都」である。そこを歩く人は北朝鮮の上流であり、決して平均ではない。平壌をカラー映像の街とするならば、まるで白黒映像で再現されそうな開城の街角の光景だった。
 この開城での一瞬が、3泊4日の北朝鮮滞在中、唯一目撃した、よそ行きではない人々の様子だった。そこに『愛の不時着』の明るさはなく、映画『工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男』に登場する暗い街の雰囲気に極めて近かった。

北朝鮮編の舞台・開城の旧国境線付近  画像:PIXTA
北朝鮮編の舞台・開城の旧国境線付近  画像:PIXTA

 ちなみに私を含め、日本人サポーターは、ツアー行動以外に宿泊ホテル外へ出ることを禁止された。各フロアのエレベーターの前には軍人が配置され、ロビーにも軍人、さらにホテル自体が中洲の先端に立地し、そもそも脱出不可能というアルカトラズ島のようなロケーションだった。それだけに、ク・スンジュンが警戒感なく、平壌を闊歩する様子には違和感がつきまとう。

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万城目学

まきめ・まなぶ
1976年大阪府出身。京都大学法学部卒業。化学繊維会社勤務を経て、2006年に『鴨川ホルモー』でデビュー。著書に小説『鹿男あをによし』『プリンセス・トヨトミ』『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』『偉大なる、しゅららぼん』『とっぴんぱらりの風太郎』『悟浄出立』『バベル九朔』『パーマネント神喜劇』『あの子とQ』、エッセイ『ザ・万歩計』『ザ・万遊記』『ザ・万字固め』『べらぼうくん』『万感のおもい』などがある。
2024年、『八月の御所グラウンド』で第170回直木賞を受賞。

撮影:ホンゴユウジ

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