よみタイ

酒井順子「言葉のあとさき」

「自分らしさ」に疲弊して

 若者はこのように、大人から何を強制されている訳でもなさそうです。それなのに何故、彼等は「自分らしく生きることができない」と感じているのかと考えてみますと、それは「何にも強制されていない」せいではないか、と思うのでした。
 若者が大人から何かを強制されると、否が応でも「私がしたいのは、そんなことではない!」と、自分の本当の欲求なり意思なりが浮かび上がってきます。親や教師といった大人から理不尽な強制を受けた結果として、昔の日本の若者は、「自分らしさ」を簡単に見つけることができていました。
 対して今の若者は、生まれた時から「そのままでいい」と言われているが故に、「自分」の輪郭がほんわかしたまま大きくなり、だからこそ、自分の芯の部分を見つけづらいのではないか。
 大人という「上」の世代が敵ではなくなった若者達の敵は、「横」に存在していそうです。私の出身校は私服の学校なのですが、今の後輩の高校生達は、一見すると私服の学校とはわからないほど、全員がチェックのスカートにハイソックスにセーターかブレザーという、制服のような格好をしています。
「なんで皆、似たような服を着るの?」
 と高校生に聞いてみたら、
「一人で違う服なんて、怖くて着れない」
 と言っており、その感覚は「私服の学校あるある」なのだそう。相互監視の視線が厳しいが故の自己規制なのであり、ツッパリ全盛期の改造制服の方がよっぽど個性的。もしかすると個性を育てるのは、自由ではなく規制なのかも……。
 加えて今の若者は、SNSによって四六時中、相互監視下にあります。彼等から「自分らしさ」を奪っているのは、大人ではなく自分達自身。だからこそ彼等はその打開策を見つけづらく、
「自分らしく生きたい」
 と、延々と歌ったり叫んだりし続けなくてはならないのではないか。
 大人から理不尽な強制を受ける機会が減ったのはよいことですが、悪者は大人だ、と言うことができずに(グレタさんは除く)「自分らしさ」という、すぐ近くにありそうでないものを探し続ける今の若者を見ていると、可哀想にもなってきます。
「高校生は、高校生らしく!」
 とか、
「女は、女らしく!」
 といった、いかにも反発しやすい規制を大人達からされていた時代は、「高校生」とか「女」といった枠を乗り越えたり壊したりする楽しみが、若者には与えられました。枠を破壊する行為には「生きている」という実感が伴い、その時の自分が自分らしいかどうかなど、考えなくてもよかった。
 しかし今の若者には、「らしさ」という枠が押し付けられません。他者から何も強制されない代わりに、正解のない「自分らしさ」を探さなくてはならなくなったのであり、たとえば制服のない高校における私服の制服化は、「枠があった方がラク」だと知った若者による、自縛制度なのではないか。
「そのまま」や「ありのまま」を求めて彷徨ほうこうする若者達は今、大人達よりもよっぽど保守的な思想を持ち、強権的な権力者を支持する傾向が強いのだと言います。若者といえば自由を求めるものではなかったの?……とヒッピームーブメントを知る人達は思うかもしれませんが、今の若者はもはや、自由などというありきたりのものには辟易へきえきしているのかもしれません。
 自分らしさを探し続けることには、もう疲れた。もたれかかることができる「枠」が欲しい。……ということで、キツい枠をもたらしてくれそうな権力者を彼等が求めているのだとしたら、時代はここから巻き戻っていくのかもしれず、「時代は繰り返す」とはこういう現象なのかもしれませんね。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『下に見る人』『ユーミンの罪』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『次の人、どうぞ!』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『処女の道程』『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』など多数。

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