よみタイ

第3回 傘の持ち方

ふだん何となく思っていながらも保留にしがち、あるいは言い切れないこと。 世間で起こる事件、流行、事柄、町で見かけたことなどについて、 違和感と疑問をスパッと投げかける。 群ようこ流、一刀両断エッセイ。

 最近は雨が多いので、傘を手にする機会が多くなった。うちには雨専用の長傘一本と折りたたみ傘一本、晴雨兼用の折りたたみ傘一本、真夏用の紫外線を通さない日傘が二本ある。そしてつい先日、豪雨用の長傘を一本追加した。ひとり暮らしなのに、本数が多いとは思うのだが、無地の洋服が多いので、そのときは柄物の傘、着物のときは柄があるので無地の傘、携帯に便利な折りたたみ傘と選んでいたら、このような状態になってしまった。
 雑談のときにたまたま傘の話になり、この話を編集者の男性にしたら、
「うちなんか夫婦二人なのに、ビニール傘が二十本以上ありますよ。全部、僕の分なんですけれど、どうしたらいいでしょうかね」
 と苦笑していた。どうしてそんなに数が増えたのかと聞いたら、自分は天気予報で雨になるといっていても、家を出るときに雨が降っていなければ傘は持たない。軽量な折りたたみ傘もたくさん売られているけれど、それでも荷物が少しでも増えるのがいやなのだという。駅に到着して雨が降っていたら、駅前のコンビニでビニール傘を買う。そして帰るときにまだ雨が降っていればそれをさして帰り、やんでいれば会社に置いておく。
「それが置き傘になるのね」
 と聞いたら、
「いいえ、社内ではビニール傘は所有権がないと思われているので、いつの間にかなくなっているんです。誰が持っていったのかって騒ぐのも恥ずかしいし、自分も社内のそのへんに置いてあるビニール傘を持って帰ったことがあるので。それでまた会社の近くのコンビニで、ビニール傘を買って帰るんです」
 ビニール傘でも選挙用、園遊会仕様で何千円もするものがあるが、コンビニで買えるものだったら、四百円から六百円くらいだろうか。しいていえばシェアの精神といえるかもしれないが、それにしても無駄に本数が多すぎる。二十本買うのだったら、その金額でちゃんとした傘が買えるのにと笑ったら、
「僕、すぐに傘をなくしちゃうんですよ」
 というのだった。つまりビニール傘は、彼のなかではなくしても心が痛まない、使い捨てとして認識されているようなのだった。しかしそれが家に二十本もあるのはすごいねと感心していたら、
「いや、全然そんな、すごくはないです。わかりました。二、三本だけ残して、ちゃんと捨てます」
 ときっぱりといいきった。しかしその後は彼と会っていないので、ビニール傘の在庫がどうなったかはわからない。
 私は若い頃から、天気予報で雨の可能性があると知ると、必ず折りたたみ傘をバッグに入れて外出していた。予報がはずれて突然、雨に降られ、ビニール傘を二回くらい買ったことがあるが、そのとき使ったきりで置いておいたら、ビニール部分は黄色く変色し、骨はさびていたので捨ててしまった。複数回使っていないので、耐久性がどのくらいなのかはよくわからない。
 昨今の、暴風雨や台風接近のニュース映像を見ると、さした瞬間から壊れるような気がする。台風一過の幹線道路沿いの歩道には、折れ曲がったビニール傘が大量に放置してある。それはそれぞれの人が壊れた時点で捨てたものが、風に乗って一か所に集まり、骨が絡み合って山になったのだろうが、その本数の多さにびっくりした。その捨てられた傘が吹き飛ばされて、歩行者を直撃する凶器になるとも聞いた。大雨のなか壊れた傘をずっと持ち続けるのもいやかもしれないし、使い捨て感覚なのもわかるけれども、暴雨風のなかに捨てるのはとても危険なのだ。
 ビニール傘について考えていると、あることに気がついた。雨の日に駅を利用すると、歩きながら傘を真横に持っている人がいる。石突きが後ろの人に向いていて、とても危ない。周囲を子供が走っていたりすると、もうどきどきする。だいたい傘の持ち方というのは、子供のときに親から教えられたはずなのだ。
「傘は危ないので、持っているときに友だち同士でふざけたり、傘を持ったまま人のことを指したりしてはいけない。後ろにいる人の迷惑になるので、持つときは必ず石突きを下に向けて、横にして持たない」
 学校の先生にも注意された。それも小学校一年生のときにである。ただし子供たちは雨が上がると、傘を刀がわりにチャンバラごっこをしたりして、見つかって先生にこっぴどく叱られた。そうやって、他人に迷惑がかからない傘の扱いを学んだのである。万が一、親からも先生からも教えられていなくても、尖った石突きを人のほうに向けたら、どうなるかはわかるだろう。

 駅のホームで、傘をゴルフクラブにみたてて、スイングの練習をしているおじさんも出てきたが、接触事故が起こって危険性を指摘され、今はほとんど見かけなくなった。しかし傘を真横に持って歩いている人は結構見かける。平らな場所ならともかく、階段、エスカレーターで真横にしている人もいて、
(いったい、何をやってるんだ)
 といいたくなる。私は若い頃から、そういった迷惑な事柄を目にすると、腹を立てつつもすっとその場を離れたりしていたのだが、還暦を過ぎたら、おばさん度が急上昇したらしく、本人に文句をいいたくてしょうがなくなってきた。昔は、あれやこれやと、正論であっても文句をはっきりいうおばさんに対して、
(お気持ちには賛同できますけど、そんなにいちいち指摘しなくても)
 と思っていたのが、ひとこといいたくて仕方がない。傘を横にして平気な、おやじ、若者。私が目にするのはみな男性なのが不思議だった。女性は遊びでも棒状のものを水平に持つ仕草を、子供の頃からあまりしなかったからかもしれない。そして私は子供の頃から棒きれなどを真横に持ち、そのまま周囲への配慮もなく成人になってしまった人たちに対して、
「その傘の持ち方、他の人に迷惑だし、危ないですよ」
 といってやりたいのだ。階段やエスカレーターでそういうやからがいると、後ろの人たちは迷惑そうな顔をしながらも、突きつけられた石突きをよけたり、傘を持っている人を追い越して被害を避けようとしたりしている。自分の行動が迷惑をかけている、というか危険な行為なのがわからないのが信じられない。親にいわれなくても、学校で教わらなくても、ちょっと考えればわかるのにだ。
 そいつにいってやりたい言葉が、口からあふれそうになっている私も、他の人たちと同じように、奥歯をぐっとかみしめて言葉が口から出ないようにして、階段であれば早足で追い越す。その際、ちらりとどういう人なのかなと彼らの顔を見ると、みな一様に表情が暗い。自分の持っている傘の危険性よりも、もっと優先的に考えるべきことを抱えているらしい。エスカレーターの場合は追い越すのは危険なので、石突きが触れないようにこちらがよけるしかない。いっそのこと、腹やバッグでぐいぐいと石突きを押し返し、振り返った持ち主に向かって、
「ちょっと、危ないですよ」
 と注意する方法をとるのがいいかと思ったが、本当にこちらの腹や大事なバッグに刺さるといやなのでやめておいた。
 そして彼らが持っているのは、なぜビニール傘ばかりなのかと考えてみたが、彼らが手にしているのは、形状は傘であっても傘ではないのではないか。ただ雨に濡れないためのもので、ビニール風呂敷などと同じ。危険性を持つものだという意識がないのだ。
 誰でもちゃんとしたものを買ったら、それが壊れると悲しいしもったいないし、大切に使おうと思うだろう。それが使い捨てだと、その瞬間に役に立てばそれでいいので愛着はない。用が済んだら捨てるだけだ。公共の場所で他人に被害が及ぶような行動をしても平気な人は、そのようなものに対する愛情が欠如けつじょしているように思う。それか何か一点のみ溺愛できあいして、他のものはどうでもいいとか。自分の所有物に対して愛情が持てない人は、他人に対してもどうでもいい感が出てしまう。それは自分をも大切にしていないということなのに。
 そういう人に対して、以前は、きちんと話して、傘の持ち方についてのマナーを教えれば、彼らも自分の身を振り返って気がつき、行動を改めるだろうと考えていたが、最近はそうではなさそうだと考えるようになった。「三つ子の魂百まで」で、何も考えない性質の人はずーっとそのまま、生まれて死んでいく。たとえば誰かに注意されて、そのときはやめたとしても、雨が降るたびに同じ持ち方をする。自分に都合の悪い話はすぐ忘れるのである。残念ながら性格が悪い人だったら、逆ギレしてくるだろう。
 おばさん度が上がり、文句をいってやりたいと鼻息を荒くしていた私も、それに気がついてからは、誰かに被害が及びそうになったら口を出すかもしれないけれど、そうでなければこちらに被害が及ばないようにと、近寄らないことを心がけるしかないのだった。

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社。84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』で作家としてデビューし、同年に専業作家となる。小説に『無印結婚物語』などの<無印>シリーズ、『しあわせの輪 れんげ荘物語』などの<れんげ荘>シリーズ、『今日もお疲れさま パンとスープとネコ日和』などの<パンとスープとネコ日和>シリーズの他、『かもめ食堂』『また明日』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』『きものが着たい』『たべる生活』『小福ときどき災難』『今日は、これをしました』『スマホになじんでおりません』『たりる生活』『老いとお金』『こんな感じで書いてます』『捨てたい人捨てたくない人』『老いてお茶を習う』『六十路通過道中』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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